The sun rises again.

フィクション

トリック

アマゾンプライムで適当な映画を見ながらご飯を食べるという生活をここ数ヶ月送っている。最近はトリックが追加されたのでよく見る。小学校か中学校時代の記憶の通りの若い仲間由紀恵阿部寛をみて懐かしさを感じると同時にこのドラマが良くできていることに気がつく。

おちゃらけのパートと真剣なパートがうまく混在している。本当によくできている。

一般に、というか僕も今回見直すまで思っていたことなのだが、トリックはおふざけがメインのドラマであると思われている。確かに仲間由紀恵が演じる山田の貧乳の下りや、矢部謙三のズラなどなど笑いを誘うような要素は劇中に幾度となく登場する。

このおふざけ自体はそれ自体はさして面白いとは思わない。単体で取り上げれば。しかしこのドラマは上記のおふざけと同時に、真面目なドラマも遂行される。大抵の話は超能力があると言って人々を騙している自称超能力者に対して、山田がそのトリックを暴いていくという仕組みになっている。ここでその超能力者がただの悪いやつならば特になんともないのだが、大抵の話においてその超能力者も何らかの力学によって超能力をやらなくてはならない状況に追い込まれている。

絶対死なない老人ホームでは、お父さんを殺そうとしたことを隠蔽するために人を生き返らせるという超能力者を演じていた。そして最後はその能力を信じていた、すなわち息子を信じていた父が自殺を図り「生き返らえせてくれ」と懇願するも、自分には能力がない詐欺師なんですよ、と言って終幕となる。ここにはなんの面白みもない。あるのは、息子を信じてやまない父は息子によって二度殺される、という純粋な気持ちが裏切られていく悲しみだ。

このようなやるせなさがトリックには詰まっている。とくに序盤のシリーズにおいて顕著だ。*1これは想像だが単なるおちゃらけではそれ以上でもそれ以下でもない駄作になってしまうことを憂慮した結果、真面目の中にバカを入れるという実験を行ったのではないだろうか。

いや成り立ちからいうと逆なのかもしれない。どんな真面目な(とここでは便宜的に言う)ドラマでも登場人物の抜けた部分、愛嬌のある部分を表現する部分は存在する。それは視聴者と登場人物との距離感を縮めて感情移入をしやすくする、という狙いがあると思う。そこの部分をとても極端にして、もはやお笑いのレベルにしてしまったのがこの作品なのではないだろうか。

温度感の違いがお互いに面白みを高めている、そんな構造があるように感じられた。

 

なんか気づいたら 1000 字ぐらいの評論になっていることに今気がついた。いろいろ書いたけれどとりあえず面白いのでみるのが吉。

*1:反対に終盤のシリーズではおちゃらけ一辺倒になっていてこのあたりのメリハリが無くなっており面白みに欠けると筆者は考えている。