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The sun rises again.

たのしくにっき

とかとんとん

起きたのは昼前。前の日ある人と飲んでいて、そのまま寝ればよかったのに、帰りにコンビニでつまみと酒を買いそして家にあった残りのビールとで追加で一杯やってしまったのは余計だった。
いや別に悪いとかそういうことではないと思うけれど、なくても良かったような気はする。でも飲まないとやってられない気分になったのも確かであって。最近どうもお酒を飲まないと一日を終わらせられなくなっているようである。あまり良い傾向であるとは思えないし、人に堂々といえることではない。でも飲んでいるときは楽しいし、家は暑いし、やっぱり夜は寂しいし、今日も僕はお酒を飲むのだろう。

多分金銭的に余裕がなくなるとか、仕事が忙しいとか、別の要因があればすぐにこの癖はなくなるだろうと読んでいる。今僕が意味もなくというかただのんべんだらりと飲み続けられているのは、ひとえに何もしなくても家はあるし飯は食えるという金銭的な余裕と、所属している研究室が特にコアタイムもなく、いつ行っても行かなくても良いようなゆるい研究室であって、研究に対するプレッシャーを一ミリも受けていないということ、この2つに尽きると思う。

これは社会人に当てはめていえば、何もしなくてもお金が得られていてかつ仕事をしてもしなくてもよいという状態である。(といっても大学院の授業とゼミには行かなくてはならないが)

結果手に入れられたのは、無限の時間と少しのお金である。どこかに旅行に行ったり派手に散財するお金はないが、毎日家で酒を飲みちょっと美味しい肉を買うぐらいのお金はあるのである。そうなれば、特に趣味がない僕がやることといえば、毎日酒を呑むことになってしまうわけだ。

趣味がないといったが、全く無いわけではない。情報系の学部に所属していることもあって、データ分析だったりプログラムを書いたりすることは、嫌いではないしむしろ書いているときはとても楽しい。また本を読むことだったり、美術館とか博物館とか映画館とか、そういうところに行くのも好きだ。

でも、いつもプログラムの題材があるわけではない。ネタは尽きる。これは美術館とかも同様だ。いつも見に行きたい気持ちになるわけではない。まあ要するに、「気が向いた時に、行きたいなぁ」ぐらいな情熱ということだ。

だから気が向かない時は何もしたくないし、時間が余ってしょうがないのである。僕は賭け事をする趣味はないので、パチンコで時間を潰すという選択肢はないし、ゲームも昔のように一心不乱にやれるような体力というか、精神状態にになることがなくなってしまった。テレビも民法はほとんど見ない。見るのはBSの朝のNHKワールドニュースぐらいである。映画もたまには見るけれど頻繁に見るほど好きではない。あと残るのはインターネットぐらいである。

インターネットでの暇つぶしも、僕のようにあまり自分から探すことに熱心ではなくかつひねくれた人間には時間を潰す場としては最適ではない。30分ぐらいはいつも見るニュースサイトの目についた記事を見たりすることで時間を潰せるけれど、そこから先は特にやることがなくなってしまう。

残るのは、SNSをだらだらと見るぐらいだけれど、最近Twitterは昔のようにネットのコミュニティで楽しむ場から、リアルでつながっている人との更なるコミュニケーションを深める場に変わってしまった嫌いがあって、どうにも居心地が悪くなってしまった。

いろいろ書いてみたけれど、どこまで行っても言い訳ばかりで、とても悲しい。

君は本気で自分を見つめているのだろうか。本気で何かをやったことは?責任を追うと決めて腹をくくったことはあるかい?

 

そうやって言っていたのは、誰だっけ。太宰だっけか。トカトントンの終わりがこんな感じだったような。
そうやって腹をくくれるように、僕はなれるのだろうか。なれなければ、早々に行き止まりになってしまうようにしか思われない…