The sun rises again.

フィクション

節分

特にやることも無い土曜日だったので、なんとなく京都に行った。ついてもやることが無いので適当に前田珈琲で珈琲を飲み、ブラブラと烏丸から市役所の方へと歩く。自分の知らない店ができていたりまたなくなっていたりする。古い街だがちょっとづつ変わっていることがわかる。

そしてそこかしこで節分にまつわる何かをやっていることに気がつく。そういえばそんな行事があったなあということを思い出す。本当に小さい頃、たぶん幼稚園に行く前とかなので5歳前後だったと記憶しているが、うちの親父が鬼の仮面をし濃い抹茶色のパジャマに動物の毛っぽいジャケットを着て鬼として帰宅して僕に「おにはそと」をやらせるというささやかなイベントがあった。

小さい子供からすると突然わけのわからない格好をして、鬼の面を被ったやつが家に来るので、とても怖い。僕は意気地があるわけでも無いので、覚えたての「おにはそと」をやる様な余裕はなく、母曰くその場に座り込み大泣きしたという。(その後この恐怖イベントは僕ら兄妹全員が体験することになる)

大人からすると、炒り豆を食べ場合によっては恵方巻きを食べるものでしかないけれど、子供にとっては生きるか死ぬか必死だ。そして初めは必死でも何度も何度も繰り返されるとなんとなくその構造がわかってきて、そうして慣れていく。でもなれるためには最初頑張ってそして駄目になって泣いちゃうかもしれないけれどその必死なプロセスはとても大事な用に思われる。その本気は本質であり、人が生きるということはそういうことだ。

今日もどこかで泣いちゃう子供が沢山いるんだろうなと思うと、頑張れって思う。

I can cry

今日はリモートで仕事をしていて、お昼ぐらいになってちょっと眠くなったのでお昼ごはんを食べる代わりに昼寝をした。13:00時ぐらいから大体二時間ぐらいだったと思う。気づくと僕はベットの上で自分でもびっくりするぐらい泣いた。何故泣いたのか全く思い出せない。多分夢で何かを見たんだと思うけれど、夢の中で泣いて起きた、とかではなく起きて意識がある状態になった後、とんでもなく悲しくなり、それがおさえきれなくなって泣いたのだった。

泣いて自分が一番驚いた。なんで自分は泣いているのだろう。よくわからないけれどとても悲しい。その感覚は事実だった。

恐ろしいのはこんな衝撃的なことなのに、夜になってスーパーに買い物に行き晩ごはんに鶏肉を胸かモモかどっちにしようか悩んでいる時に「そういえば今日なにかとても大事なことが起こった気がする」と思って思い出すまで、今日泣いたことすら忘れていたということだ。人間の記憶は、とても適当。

月曜日の休日

起きると既に17:00を回っていた。三連休の最終日。本当はもうちょっと早く起きてどこかに出かけようかなとか思っていたはずなのに、気づけばもう一日が終わろうとしていた。ちょっと罪悪感。

これにはわけがあって、というのも今日は本当は朝5時ごろに一度めが醒めていたのだった。珈琲を入れてパソコンをつけて音楽を掛ける。そこまではいつもの朝と同じだ。然しその瞬間にこのまま今日を初めてしまっても良いのだろうか、という問が頭に浮かんだ。僕はもう十分に休みを取れているのだろうか、このまま起きて何らかの活動をして自分に負荷がかからないだろうか。そう自問してみた時はっきりと「はい」と応えることが出来なかった。むしろどこか頭の奥底に疲れを感じていることに、その時おきてからはじめて自覚した。起きた時には特に何も感じていなかったのに。この感覚を無視して起きていると僕の体はゆるやかに壊れてしまうような、そんな気分になり二度寝を敢行した。

一度起きてしまうと二度目ねることはなかなか難しい。特に今日なんかは本気で起きてしまっているので余計に厳しい。そこで先の違和感をたどるように思考していると、いつの間に眠ってしまい、起きれば17:00だった。多分疲れていたのだと思う。

起きてからは昨日途中まで読んでいた森見登美彦の「熱帯」を最後まで読む。熱帯は小説とはどのように生まれるのか、またその本質とはなんなのか、について小説を用いて語っている本のようであった。著者森見氏の小説を書くことへの気持とか葛藤が良く伝わってきて、読み応え抜群である。一方で読む人を選ぶことも間違いない、というのも作中で出てくる話の筋をすべて回収しているとは言えないためである。悪いようにいうと投げっぱなしになっていると捉えることも出来なくはない。しかしそれを含め、僕はこの小説が良い小説だと思った。良い物は良いのである。

その後自分の本棚から本を紹介する、ということをやっていくつか本を紹介した。誰かに本をすすめる、という場面になるとダラダラと読んできた僕の読書歴、と一部の積み本からなる本棚がむくむくと立ち上がってくる。すすめることが出来るような本はどれか。変に政治的でもなく、あまりに暗くもないが、読むととても示唆的であり、僕が薦めることにある種価値が有るような本、それは即ち僕が勧めずともたどり着けるような本ではないが、本質的に良い物を持っているいわばちょっと埋もれた宝石のような存在である。それらを本棚から再び探り出し何が良いのかをまとめる作業は僕の読んできた本を振り返る上でとても良い経験になった。定期的に自分自身に対して同じことをやっておくと、その時々での僕の考え方とかがわかって面白いなと感じた。

明日は火曜日、平日である。お仕事をせねばならない。僕は明日も本を読んでいたいな、と思った。

仕事のモチベーションについて

年末は地元に帰ってゆっくりしていた。特に生産的なことをするまでもなく。コーヒーを飲みながら適当に論文を読んだり、新しい本を読んだりしていたが、それは生活時間の僅かな時間であって殆どの間は酒を飲んでぼんやりと過ごしていた。ぼんやりとしていたので一週間ちょっとがすぐ終わった。美味しいものを食べてお酒を飲む、そのタイミングではある程度満たされているがしかしそれ以上でもそれ以下でもない。

大阪に帰ってきて仕事が始まった。会社に行っていつもどおりに業務をする。自分に振られたレビューを見てレビューしたり、わからないことがあったらそれを聞いて教えたり。そういえば新しい事業をやるなんてことの話を聞いたりしていたかもしれない。それらは会社にとってはとても大切なことであって、それをやる意味もわかるのだけれどどうにもやっていて楽しいと思えない。なんと言うか消化試合である。

消化試合に思えるのは僕がしっている範囲内でしかことが進まないからであるということに、最近気がついた。気がついたきっかけは宮台氏の本にあった「もうわかっている感」というワードに有るように思う。このワード自体は、宮台氏の分析を読んだ若者がそれに関する事象を自分が体験してもそれを既に知っているがゆえに「ああもう知ってるな」というふうなメタ的な認知にいたり、何も知識がない状態で体験するのとは待ったことなった認識なってしまうことを指している。それがもうわかっている感という言葉に繋がる。

それと僕の感覚は微妙に違うけれど、自分がわからないことに触れる機会が今の環境にはあまりにも少ないために、すべてが自分のコントロール下に置かれてしまっているように思えることが多い。そのために生活一般にハリが無い。全部わかっていること、自分の認知出来ることの範囲内でしかない。僕の生きているモチベーションになることは、自分がこれを知りたいやりたい、ということを必死にやることが多かった。それは大学にいる時に一人でプログラムに熱中したり、本を沢山読んでみたり、大学院にいる時には機械学習を頑張って身につけて使えるようにしたり、研究のための論文を読んだり。

それらは僕が知らない世界を自分のものにしたいという気持からだった。自分が知りたいなって思うことがあって、それをがむしゃらにやって一つづつものにする。そうやって少しづつでも知ることが増えていくことが楽しかったのだった。

翻って現状の環境はどうだろうか。

やっているのは受託のシステム開発であって、それは「特定の要件を満たすシステムを、いかに短期間である機能を実装しお客さんに提供するか」が目的であって、知らないことわからないことをやることが目的ではない。要求によっては新しいことを学ぶ必要が有る場合もあるだろうがそれは全体のうちの一部に過ぎない。要は今出来ることの切り売りになる。

こういう会社であっても新任で入ってきた人にとっては学びはあるだろう。それは会社で培っているノウハウだったりを吸収する必要があり、それによってその人のスキルが上がるからである。その間その人は学ぶことが会社にとってもその人個人にとっても目的が一致する。が然しそれを達成してしまった後はその人は何を目標に仕事をするのだろうか。仕事の効率化をすすめること自体に面白さを持つことが出来る人やものを作ること自体に面白さを感じる人ならば、その立場でも楽しいだろう。

一方で学び自体に面白さを感じている人は? まさにそれが僕なのだけれど、どうにもモチベーションになるものがない。要件定義とか頑張ってみる?とか思うけれどそれは別に面白い仕事ではなく仕事をするためにしようがなくやる必要があるフェーズであって極めることに面白さは正直感じないしやっていても楽しくはない。コーディングは?コーディング自体が楽しい時もあるが別にそれ自体に面白さを感じることはない。新しいアルゴリズムとかを論文等で読んでそれを実装する、というような何かしらの背後の目的が達成したいがゆえに、その方法としてコーディングするのは楽しいが。

そうやっていろいろ考えていると、僕は受託会社でシステム開発をすることに楽しさを感じることは難しいような気がしてきた。

それよりはあるアルゴリズムを改良することが会社の利益になるから、機械学習なり何なりを実装する、といった既存の枠組みには無いロジックを実装していくような立場であったり、会社として特定のサービスを運用していて、その改良を提案して実装していくような物自体を良くすることが第一義でその実現方法としてコーディングが有るような立場のほうが良いのかもしれない。後者は受託開発の会社ではなかなか発生することがない、それは「受託開発では言われたことを短時間で仕上げて利益率を上げること」が目的関数であり良い物を作ることは二の次であるからだ。

この良い物を作ることが二の次になっていることも僕のやる気を阻害する一員なのかもしれない。せっかく作るのであれば良い物を作りたい、というおそらくものづくりをする人にある根源的な欲求を満たしづらいのだ。

やはり、適当に作っておしまい、を大量に繰り返すことに抵抗がある。自分が作ったものが役に立たないのは、それで以下にお金が稼げたとしてもやっぱりやるせない。

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福岡に久しぶりに言った。


最後に言ったのは大学学部のときだったように思われるので、もう4年ほどたつ計算になる。あの頃はなにかあるたびに飛行機に乗って福岡に行き、適当な安宿をとってひたすらにラーメンを食べていた。ひどいときには2日で合計7件、そして殆どの店で替え玉を数回するという、なにか狂気めいた勢いであった。


今はもう当時のような鬼気迫ったものは無い。嫌いになったわけではなくむしろ好きだが、特段食べたいとも思わない。サンドウィッチとコーヒーのほうがありがたいと思うようになった。

なぜ福岡に来ているかというと、端的に言うと転職活動である。新しい職を探しに福岡へ来たのであった。

 

そもそも転職活動を始めた理由としては、現状の仕事内容にとても不満があるからである。
もともとは機械学習がやりたくて入ったのに、現状のメインはAPI開発とフロントエンドのvueとインフラ構築、お客との契約交渉・要件定義など。エンジニアリングばかりが先行して、まったく機械学習に関してのアウトプットも、インプットも途絶えてしまった。論文をちょろっとかじることはあっても内容を精緻に読むような時間も気力もなく、数式もここ数ヶ月自分では書いていない。ほんとうは機械学習を業務で使いながら最新の内容をインプットして、それを更に製品に載せていく、ということをやりたかったはずなのだ。


でも全然できていない。
プライベートで勉強すればいいのだろうけれど、それももう気力がなくなってしまって途絶えた。エンジニアリングは嫌いではない。作るものにはこだわってちゃんと作るし、動いてそれが役に立つととても楽しい。でも本当は業務で機械学習をやりたいんだよな、というのを捨てきれなかった。

そして転職活動をしているわけであるが、今回の博多での会社の面接でその気持もどうやら本当かどうかがわからなくなってしまったように思う。面接内容は簡単な線形・微積の知識を、口頭で聞いていくというものだった。内容はとても簡単だ。下手すれば真面目な大学一年生ならすべて答えられるし、研究する人間であれば、それこそ思考なしに秒で答えられる必要がある。それに僕は詰まりまくった。詰まってはいけない問題で。
原因は明らかで、僕が最近数学に向かっていないから。思考のための記憶の引き出しが錆びついて動かない。ここにはいっている、ということはわかるのに出てこない。

 

哀れだった。悲しかった。
僕はここにいてはだめだと、思った。

 

僕は自分でも知らない間に、数学も機械学習も理論的なことが全然できない人間になっていたことを、そこではじめて発見した。できると思いこんでいたが、できなかった。これが現実だ。昔取った杵柄を過信していたのだった。自己研鑽を怠った人間の末路が、そこにはあった。

 

悲しい思いになりながら、せっかく福岡へ来たからと事前に予約していた別府へ移動したが、正直なところもう帰りたいという気持ちしかなかった。温泉には入った。とても気分は良かった。しかし心が重たい。
重たい気持ちのまま、翌日別府駅に向かい、すでにとっていたチケットの指定の時間を変えて早めにしてもらおうとしたところ、時間変更が効かず自由席でも乗れない券であることが判明した。出発まではだいたい4時間ほどある。特にやることはないしカフェで作業でもしようかと駅前のロータリに出た。ロータリの端に小さな掘っ立て小屋のような物があった。どうやら今丁度アートのなんらかのイベントをやっているらしい。
暇だったのでそこでチケットを買い、会場である別府公園まで歩いていく。

 

公園では幼稚園の運動会をやっていて、その後ろでは大学生の合奏団と思わしき団体が、何らかの行進の練習をしていた。
嫌に牧草的で、無秩序である。アート会場っぽさのかけらもない。どこでやっているのかもよくわからず適当に歩いていると、公園の真ん中にぽつねんと四角い箱がおいてあった。これはまさに置かれていた、というのがふさわしいと僕は思った。打ちっぱなしのコンクリートでできた四角いそれは明らかに浮いている。近寄ってみるとそこが作品がおいてある部屋であるらしい。

駅前で買ったチケットを渡して中に入ると、そこには大きな穴があった。見た瞬間にこれは金沢でであったあいつだとわかった。


その穴と初めてあったのは大学3年生のとき。友達と金沢まで東京から車で700キロを一日で移動するというアホみたいな日程の夕方に、時間つぶしで金沢21世紀美術館に入った。特に事前知識も入れずぶらぶら常設展を見ていたなかに、それはあった。コンクリで固めたれた部屋に、斜めに穴が空いている。よく見るとそれは物理的に穴は空いておらず、斜面に黒い塗料が塗られているようだ。しかしその黒が、僕がみた黒の中で最も真剣な黒であった。塗料であることがわかっても、それを受け入れられないような、圧倒的な黒。いくら見てもその不思議な体験が不気味であり、また僕の既成概念とかいつも使っている認知を揺らがせる心地よさがあった

 

その黒が、別府にいたのだった。
久しぶりにあったそいつは、前とは違う表情をしていた。今、明らかに僕はそいつの圧倒的存在感に負けいる。飲み込まれそうだった。
今のぶれぶれの僕を激しく揺さぶるように感じた。実際にはただ壁に色が塗ってあるだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。しかし僕の感覚はその単純なる存在にボコボコにやられてしまっていたのだった。

同時になぜか励まされた気もした。僕は変わらずここにこうやって存在している。別に飲み込みやしない。そう思っているのはきみがずれているからなんじゃないか。
ある種のスケールとして私を利用しろ。自分についてもう一度考えてきなさいと。

同じ展示の中にあったドキュメンタリー映像の中で、その作家について「西洋の男性主体の彫刻を女性のものにしてしまった」というものがあった。
まさに僕もその女性的、母的なものを感じたのかもしれない。そうでないのかもしれない。

満たされるごはん

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最近ひどく生活に締まりがない。それは僕を縛るものがほとんど存在しないからであるのは明確であって、仕事もあまりやんや言われない、恋人もいないから定期的に人と会う予定もない、一人暮らしだからお金がないわけではない、などなどの要因が重なって、日々の生活でやりたいことは、大体出来てしまうのである。たとえば大学生の頃であれば、スーパーでトマトを買うなんてことは想像が出来ないことだった。一つ100円もするトマトは、高すぎたのだ。そして泣く泣く100グラム38円の鶏肉をキロ単位で買い込み、二匹ぶんの頭が詰まったタイのあらを100円で買いよなよな1時間弱かけて煮込んでいた。

それが今では特に値札を見ずに野菜だろうが魚だろうが買うようになった。食べたいものを買えるようになったのだ。これはとても素晴らしいことであって、世の中には買いたくても買えない人もいるのだから、これに僕は感謝しなくてはならない。とはいえ、達成されてしまった今この現状を省みると、思ったよりも楽しくないというのが正直なところで、節操がなく締りのない、だらしないように感じられてならない。

美味しいものを毎日食べても、大して楽しくないのだ。まあこれは高校の時からなんとなーくわかっていたことである。外食も有る一定の頻度を超えていると特別感がどんどんなくなり、ご飯を食べる意外の価値がだんだんとなくなっていく。確かに美味しいところ、綺麗な器で出てくるところ、雰囲気のいいところ、という価値はあるけれど、あきらかにそれは価格には見合っていないように思われる。結局お腹いっぱいになっておしまいなのである。

最近とみにお腹がいっぱいになるだけの食事が多い。それを脱するべく今日はサンドウィッチを食べに、最寄りの駅近くの喫茶店にでかけた。

こじんまりとした、それでいてとても綺麗でモダンなカフェで、サンドイッチもしっかりと調理されていて、とても美しかった。

見た目に負けない味で、とても美味しかった。珈琲もとても美味しい。お腹以上に気持が満たされたご飯だった。

海外旅行と利害関係

約10年ぶりに海外にいった。前回は親に連れられて行ったハワイで旅程から準備から僕はほとんど関与していないいわばお客さん的な旅行だったので、あまり記憶に無いし主体性も殆ど無い。故に今回の旅行は自分で考えて行くという意味で言えばはじめての海外になる。

とはいえ海外に行くことが決定したのは僕というよりむしろ僕のすばらしい友人たちの適当なノリで「海外行ったら楽しいんじゃねえか?」「ええな」というよくある飲み会の一幕を本当にしてしまったことがもとであって、仕事が忙しいというなんとも言えない理由にも文句を言わず、旅行会社からなにからすべてを手配してくれた友人二人には感謝しか無い。

さて行き先はタイだった。直前までベトナムに行くという話だったがベトナム行きのツアーがなくなってしまったため急遽タイにしたのだった。予定が決まった段階で僕はまだパスポートを持っておらず、案外パスポートの発行までに時間がかかることがわかり、しかも戸籍謄本まで必要だという。郵送で取り寄せていると時間がなくなる為泣く泣く母親に頭を下げて取ってきてもらい、会社を午前休んでパスポートセンターに行った。こんなもん全部オンラインでやれるやろ、という自分の不手際を棚に上げたことを思いつつ申請を行い、無事旅行の3日前にパスポートを手に入れた。

他に必要なものは金ぐらいだろうと踏んで、ただの日帰り旅行の様な格好で関西国際空港まで行った。友人たちはちゃんとした海外旅行の人たちで、僕だけ国内旅行(しかも一泊くらいのやつ)のような格好で明らかに浮いていた。

 

そうやってようやくタイにたどり着いたわけだが、結論からいうとタイはいいところだった。

まちなかはとても街(語彙力がない)だし、自然もあるし、道は東南アジア的雑多さがあり、普通にタクシーに乗っているだけで楽しい。タクシーはホテルや有名なデパートの担当のおっちゃんに頼まないで流しを捕まえると、ほとんどの場合でボッタクリの値段をふっかけてくるのが玉に瑕だが、それも向こうの人から見れば「金を持っている人は払ってくれや」というごくごく自然の生きるための術であるししようがないのだと思う。タクシーの運転手は悪くはない。悪いのはタイの生産性が日本よりも低いという点にあるのだから。(だからといって高い値段を払うわけではないが)

利害関係者以外のタイの人はとても親切だ。

ホテルの人、公共バスの運転手のおじさん、レストランの店員さんなどなど。バスの運転手に至っては、多分向こうは英語が全くわかっていないのに行きたい場所を連呼していたらものすごいハイテンションにタイ語で説明してくれて、降りるバス停の前にこちらに来て「ここだぜお前ら!」というような謎テンションでお知らせをしてくれるぐらいには楽しい人だった。

これは観光で自分たちの生計が成り立っているということをわかったうえで優しくしているのか、そうでないのかはわからないが無愛想なのよりはよっぽど良い。しかも言葉が通じない相手に臆することなく絡んでくるのは尊敬する。自分ならちょっと出来そうにはない。

それは行き帰りの飛行機でも顕著だった。利用したのはタイ航空で乗務員はタイ人と日本人が半々(ANAとの共同運航便ゆえ)。初めは言葉が通じるほうが楽かなと思っていたが、気配りのそれが圧倒的にタイ人のほうが良い。日本人は「お前ら日本語通じるだけ感謝しろ」的高圧的態度で接客してくるのでこちらかお断りという感じであった。これも先の生計というのが聞いているように思える。というのもタイ航空からすれば日本人に悪い印象を持たれることは全く持って利益にならないからだ。一方で日本人乗務員からすればそれはどうでも良いことであり、ANAという看板もちょっと注意しないとわからないからなおのこと適当にするのは当然である。

生きることと、人に対する態度は直結していることをまざまざと感じさせられた旅行であった。

でも自分は利害関係者でもそうでなくても、優しく対応できるような人間でありたいし、そういう心の余裕をもって生きていきたいなと思った次第。

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写真はタイでは有名な TRUE カンパニーの支店である。タイでは TRUE が人気のようで TRUE Coffee から True Store はたまた True Sports まである。どれだけ偽物が跋扈していたのかが伺える。