The sun rises again.

フィクション

月曜日の休日

起きると既に17:00を回っていた。三連休の最終日。本当はもうちょっと早く起きてどこかに出かけようかなとか思っていたはずなのに、気づけばもう一日が終わろうとしていた。ちょっと罪悪感。

これにはわけがあって、というのも今日は本当は朝5時ごろに一度めが醒めていたのだった。珈琲を入れてパソコンをつけて音楽を掛ける。そこまではいつもの朝と同じだ。然しその瞬間にこのまま今日を初めてしまっても良いのだろうか、という問が頭に浮かんだ。僕はもう十分に休みを取れているのだろうか、このまま起きて何らかの活動をして自分に負荷がかからないだろうか。そう自問してみた時はっきりと「はい」と応えることが出来なかった。むしろどこか頭の奥底に疲れを感じていることに、その時おきてからはじめて自覚した。起きた時には特に何も感じていなかったのに。この感覚を無視して起きていると僕の体はゆるやかに壊れてしまうような、そんな気分になり二度寝を敢行した。

一度起きてしまうと二度目ねることはなかなか難しい。特に今日なんかは本気で起きてしまっているので余計に厳しい。そこで先の違和感をたどるように思考していると、いつの間に眠ってしまい、起きれば17:00だった。多分疲れていたのだと思う。

起きてからは昨日途中まで読んでいた森見登美彦の「熱帯」を最後まで読む。熱帯は小説とはどのように生まれるのか、またその本質とはなんなのか、について小説を用いて語っている本のようであった。著者森見氏の小説を書くことへの気持とか葛藤が良く伝わってきて、読み応え抜群である。一方で読む人を選ぶことも間違いない、というのも作中で出てくる話の筋をすべて回収しているとは言えないためである。悪いようにいうと投げっぱなしになっていると捉えることも出来なくはない。しかしそれを含め、僕はこの小説が良い小説だと思った。良い物は良いのである。

その後自分の本棚から本を紹介する、ということをやっていくつか本を紹介した。誰かに本をすすめる、という場面になるとダラダラと読んできた僕の読書歴、と一部の積み本からなる本棚がむくむくと立ち上がってくる。すすめることが出来るような本はどれか。変に政治的でもなく、あまりに暗くもないが、読むととても示唆的であり、僕が薦めることにある種価値が有るような本、それは即ち僕が勧めずともたどり着けるような本ではないが、本質的に良い物を持っているいわばちょっと埋もれた宝石のような存在である。それらを本棚から再び探り出し何が良いのかをまとめる作業は僕の読んできた本を振り返る上でとても良い経験になった。定期的に自分自身に対して同じことをやっておくと、その時々での僕の考え方とかがわかって面白いなと感じた。

明日は火曜日、平日である。お仕事をせねばならない。僕は明日も本を読んでいたいな、と思った。