The sun rises again.

フィクション

模範的休日

ゴールデンウィークの予定は何もなかった。仕事が忙しくて遊ぶ暇が無いわけではない。スケジュール通りのお休みは取れていたが、特にどこかにでかけてやろうとか、実家に帰ろうとかいう気持ちにならなかった。もっとも高校の友人に、一緒に地元に帰って行きつけのラーメン屋に行こうよ、と誘われた時には少し帰っても良いかなという気持ちになったが、彼が彼女と一緒にいくというのを聞いてその気持ちは離散した。

僕の彼女はシンガポールに旅行に行っているらしい。らしいというのは、それを直接聞いたのではなくSNS上の発信から推察されたためである。当日ぐらいになってから旅行にいく旨と、現地についてからホテルからの写真がLineで送られてきた。僕は特に興味もなかったので、生返事をし記憶から消去した。というよりも覚えておくような情報ではなかったので、こうして記述するまで忘れていた。

なんだか社会人が長期の休みをとった時の行動というのはありふれていて、それこそ東南アジア、ヨーロッパ、沖縄、etcへの旅行がそれだ。その旅行が、それなりに楽しいものであるのもよくわかっている。だけれど僕は家で自分が作った肴をつつきながらビールを飲み、アマゾンプライムの無料枠で映画を貪り見るのもそれと同じか下手をすると人と一緒にいない分気楽で楽しかったりする。そうなるとまあまあなお金を払いどこかにいくよりはいつもスーパーで買えないちょっと高い素材を買ったり、いつもは料理しない材料、たとえばたけのことかを買ってアク抜きから挑戦してみたり、阪急に乗って適当に神戸とか京都に行ってみたり、みたいな程度の冒険で事足りてしまう。

人間どこに行ってもやることといえばご飯を食べて寝るのには変わりなく、旅行で見ることができる世界というのも気の持ちように過ぎない。

たとえば、僕が毎日通勤で移動している経路だって知らない世界は沢山持っているに違いないのだ。休日の特に予定のない散歩をすると、いつも歩いているはずの道に、未知のものを発見することがとても多い。それはこの時期になるとよく見るオレンジの花で調べてみるとそれは外来種のカルシウムを好む草で、アスファルトの隙間や花壇の道路側にまとまって生えていることを知ったり、自転車専用道路の看板のアイコンが場所によって微妙に違うことだったり、などなど。

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例えば綺麗なバラが突然生えていたりね

そういういつも見落としているものの落ち穂拾いをやるのが、僕の休日だ。

今日について言えば、とても天気が良かったのでなんとなく阪急京都線の特急に乗って、烏丸駅まで行ってみることにした。久しぶりに京都に行くと、京都はとても空が広いことに気が付かされる。これは東京から京都に引っ越した時にも思ったことだ。最近大阪に馴染んできて、高い建物ばかりみて空を見ていなかったからなのかもしれない。雲ひとつ無い快晴で、風も心地よく、この間買った夏服の半袖シャツを着たくてしょうがなくてちょっと寒いのを無理して来てきていたのだけれど調度良かった。

お昼ごろについて、特に用事もないので烏丸からぶらぶらと南の方へと登って行き、住んでいた時には気が付かなかったところにパン屋があるのを発見してバケットを買い、その隣にあった普通の洋食屋のなんの気のないハンバーグがやたらとおいしく見えて一人その店に入った。店内はこじんまりと、しかしとても綺麗なお店で天井からはレトロなガラスの傘のついたペンダントライトが吊り下げてあった。お客さんはまばらでワインを両親が美味しそうに飲んでいる親子連れと、観光であろう老夫婦(なんとなくそう感じた)が二組。そうしてハンバーグとビール瓶を頼み、出てきたハンバーグは想像通りとても綺麗に盛りつけられた、ハンバーグだった。そして、そのなんともない味にとても満足した。

別に最高においしくなくても良いのである。そうハンバーグから語りかけらているように感じた。

 

「君はこういうのが、欲しくて京都に来たんやろう?おいしく食べえや。」

「美味しいです先生。」

 

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ハンバーグとビールでちょっと気分が良くなったあとは、また河原町通から寺町商店街に入り、三条通をブラブラと歩き、烏丸通りを超えて室町通まで来たところで、そういえばこのあたりは夜にしか来たことがないし昼間の散歩をしてみよう、と思い北に下った。

しばらく歩くと、みちばたに前田珈琲の看板を発見した。(前田珈琲イノダコーヒと並ぶ京都の老舗珈琲店である。)ちょっと腹ごなし兼目覚ましに珈琲を飲もうと思い、建物に入った。そこは前田珈琲だけが入っているのではなく、全体としては芸術作品を展示するスペースを貸している場所であり、建物の中央にはテニスコートがあった。テニスコートの周りには無造作にベンチが並んでおり、何人かの人がそこで本を読んだりウトウトしていたり、ようするに思い思いに好きなことをしていた。中央には60歳前後の老夫婦二組がテニスをしていて、ボールを打ち返す「ポーン」という音が気持ちよく周りにこだましていた。なんと牧羊的な、贅沢な時間の流れている馬生だろうと、僕は思った。こんなゆったりした時間を、すくなくとも会社に入ってから1年ちょっとの間では感じたことがなかった。みんな自分がやりたいことを自由にやっている。そしてその空気感が絶妙であった。そう思うと、無性にこの空間で本が読みたいと思い、持ってきていたエーリッヒフロムの「自由からの逃走」を読むことにした。珈琲そっちのけで本を読み、気づくと半分ぐらい残っていたのをすべて読んでしまっていた。

この感覚は昔、僕が小学生の頃の読書体験に酷似していた。家に帰ってきて百科事典を開けて、晩ごはんが用意できるまでずーっと読む。何にも急かされず、自分の世界に入って自由に読む。周りはまったく気にならない。同じ空気がそこにはあった。

大学院に入ってから特に顕著だったけれど、最近の僕はこの自由な読書ができていなかったように感じられた。自分ではない何かに「読め」と急かされているような。実際に誰かに言われたわけではないが、それは僕の中にいる規範だったりするのだろう。こうあるべき、の拘束によって奪われていた読書を、わずか1時間だけではあるが自分の手の中に取り戻すことができて、僕はとても嬉しかった。

満足な気持ちで前田珈琲に入り、酸味の少ない牛若丸ブレンドを頼んだ。とてもすっきりと澄んだ珈琲に感じられたのは、そのときの僕の気持も少なからず影響していたのかも知れない。