The sun rises again.

フィクション

ハッピーバースデー

誕生日だった。祝ってくれたのは数人の友達と母親からのLineのみであった。僕はいつもどおり昼まで寝て、なんとなく起きてきてから仕事を少しすすめていると気づけばもう11時を回っていた。空腹であることに気がついたので、深夜までやっているスーパーに買い物に行く。適当に着替えをして、持ち物は財布と携帯とイヤホン。とても寒い。そうやって歩いていてふと携帯を見ると日付が超えていた。なんだか僕の人生はこうやって、なんとなく進んでいってしまうのだろうなという感覚に陥った。別に祝ってもらえないことが悲しいわけではなくて、こういう区切り目の日すら、特に記憶に残らない形でだらっと消え去ってしまうことににわかに気づいてしまって、もうどうしようもなくなってしまっていたのだ。

その瞬間、すべての事象がめんどくさくなり、僕はもともとあった予定を仮病で休み、一人家のベッドで寝転んでいた。何もかもが嫌なのだった。できればこのまま一生起きずに過ごしたいと思った。誰も何も、僕に干渉しないし、僕も干渉しない。僕は夢の中でだらっとした優しい世界で生きていく。それでいいじゃないかと思ってしまうほどに、僕は弱っていた。

でも同時に、そうやって腐っていてもなにも物事が解決しないことも僕はよくわかっている。だからもうひとつの予定の方(こちらの方は先断ったものより幾ばくか行きたい気持ちが強かったので断らなかったのだ)があることもわかっていて、それのためには少なくとも16:00にはベッドを出てシャワーを浴びてワックスをつけて歯を磨いて、いい感じの服を選ばないといけないのだ。別に寝ていても僕は死ぬわけではなく、予定をしている相手が悲しんで僕の社会的立場が少しなくなるだけだから、寝ていたって良いのだけれど、そう僕はずっと寝ていてもダメなことはよくわかっているのだった。僕はいやいや、16時間弱の睡眠から目覚めた。

気の進む予定といってもとても平凡で、女の子とご飯を食べに行くというただそれだけだ。で、僕はあまり女の子と遊びに行くことがないから、喜々として遊びに行く、ただそれだけ。日頃なんやかんや言って男性のがっついた感じに眉をひそめることが多いけれど、結局僕も僕が忌避する男の中のインスタンスでしかない。

実際遊びに行くとまあ楽しいし、家にいた時よりも一般的に言って「充実」しているのは間違いない。ご飯を食べに行って、映画を見て、感想を言い合いながら歩いて。

でも結局それも男女のあれこれがあるわけでもなく、ただ受動的に食べて見て話しているだけであって、あまり家で寝ているのと大差はない。相手に対してとても失礼な発言なのは間違いない。別にお前と好き好んで行っているわけではないしそんなに言われるなら今度から行かねえよと言われておしまいだ。

いやこれも違う。また変な理屈をこねて、自分を守ろうとしている。今日の経験がどうなるかなんて、誰にもわからないしそんな基準で行動をするのも変だ。一番まずいのは何も行動しないということだ。行動は尊いのである。そしてその分、行動は責任とめんどくささを伴うのだ。それから逃げているから、僕は家で延々と寝ているのだ。単純なことだ。

口ではよく人生を主体的に生きていきたい。明示的に人生の行動を選択したい、と言っているのにもかかわらず、なんとなく自分が楽な方楽な方に流れていってしまっている現状の自分に対して腹が立っていて、納得行かないのだろうなと。