The sun rises again.

フィクション

年末いろいろとあり気づけば一週間ほど実家に帰っていた。久しぶりの実家には家族全員が久しぶりにそろっていて、なんとなく高校生の時の賑やかな雰囲気を彷彿とさせた。もちろん皆大きくなっているからちょっとちょっと違っている。しかし中身はほとんど変わっていないように思われた。

やはり家族は安心するし心地が良い。僕のことをよく知っているし、たとえ僕が変なことを言おうとも全部を否定されることはないということがわかっているから。やはり他人同士であればいくらよほど親密な友達ではない限りこのような関係にはならない。

ふと大学一年生の時、初めて一人暮らしをして家を決め、不安と期待でいっぱいの中一人で布団に入って眠った時、なんとも言えない寂しさにさいなまれておんおんと泣いてしまったことを思い出した。あれは自分でも自覚していないうちに、家族に守ってもらっているという感覚があって、それが一気になくなって一人になってしまったことに耐え切れなかったゆえだと思う。今では一人で眠ることにもなれてしまってなんとも思わないけれど、それはなれてしまっただけであって多分まだ心のどこかには満たされないところがあるのだろう。それは実家に帰ると顕著だ。一人でいるのも楽しいけれど、ずっと一人は寂しいものだ。

母親に、付き合っていた彼女のことを聞かれ別れた旨と経緯を伝えると、見たことのないような悲しい顔をして「それは相手がさぞ悲しかっただろうね」と一言ぼそっとつぶやいた。僕はそれを聞くまで本気で相手が寂しかったということについて考えていなかったことに気がつき、狼狽した。彼女は僕のことを好いてくれていたのは知っていて、一方的にこちらから関係をふいにしたことに申し訳なさは感じていた。しかしそれと別れた時に寂しいと本気で思うことが繋がっていなかったのだ。

僕は僕の中の価値観だけしか考えていなかったし、相手が僕と別れるときにどれだけ傷ついたのかもわかっていなかったし、そうして飛び出した「申し訳ない」ということばで更に傷つけたのであった。そして理由は「好きがよくわからない」ときた。たわごともいい加減にしろ。それはお前が本気で物事に取り組んでいないからなんだよ。本気でその人のことを考えることが、好きってことなんだろうと、今では少しは思うので、こういうことを記述しているけれど、当時は本当にこれを言っていたんだよ。なんと悲しいことだろうか。そして多分、ではなく本当に今でも彼女が好きなんだよね。悲しいね。悲しい。

そんなことを考えながら、帰省から帰って一人で家にいると、とてもさみしい気持ちになるのでした。