The sun rises again.

フィクション

最近の出来事

朝からとても寒い。もう京都の秋は終わったように思える。とても寒い。布団から出るのが億劫になってきているのを感じる。時間は11時を過ぎている。お昼過ぎからのゼミに出るために体を起こす。
シャワーを浴びて、服を選びながら、ここ数日にあったことを考えていた。
この数日で、本当にとても大切なことが幾つかあって、その予定が全て終わったので、僕の中ではほっとしている。

一つは仕事の話。
仕事と言ってもバイトのようなもので、物理の教材をもくもくと作っていたのだが、それにだいぶ落ちというか、ケリがつきそうだということ。この仕事は本当はやるべきではなかった、そう確信している。理由は簡単で、割に合わないからだ。
物理の範囲をすべて網羅するような、教材を一から、しかも既存の教材から持ってくると著作権的にアウトだからセンター試験と各大学の過去問と後は創作で。これはなかなかにしんどいものがあった。まず、それを解いて物理が理解できるような流れを作ることが難しい。そしてその後の問題の選定段階でも、わかりやすい簡単なものから、だんだんと難しく、そして有用な問題を、となると適当にホイホイ入れていくわけには行かず、ここも大変だ。
やっていて一つ収穫だったのは、僕の勉強方法はかなりがむしゃらに近いものだったのだな、という振り返りができたことである。正直選んでいて、全部とけばいいじゃんと何度思ったことか。僕はおそらく、すべての問題を解いている。そして理解した。であるから、貴方も全て解いては如何?と言いたくなるのだ。まあそれでは仕事にならないから、選ぶのだけれどね。

二つ目は、彼女のご両親に挨拶に行ったこと。

挨拶と言うか、僕が彼女の実家に行って酒とご飯を死ぬほど食べた、というのが正しい事実であるのだが、アレは挨拶といっても問題ないであろう。

まず第一に人の家にあまりお呼ばれされたことがなく、そして彼女もできたことがない僕にとっては、これは本当に胃が痛い出来事で、別に行きたくないわけでもないし、彼女と適当に付き合っているから重たいことになりたくないとかそういう意味ではなく、純粋に「なれていないことはやりたくない」のだ。

格好から、言葉遣いから、何から何まで、どれが正解なのかよくわからない状況に置かれることが本当に苦手であって、今回も例外ではない。唯一救いだったのは、彼女の両親も彼女も酒をとても良く、そして気持ちよく飲む人たちであったということだ。心の弱い僕は、酒を勧められるがままに飲むことにより、酒の力をかりてその場を乗り切ろうとしたのである。実際酒が回ってきて、自分が何を言っているのかわからない状態になってからはだいぶ心は楽になった(別に酩酊しているわけではない)。

後から彼女の話を聞いた限りであると、別に悪いようには思われていないようで、スイスイとお酒を飲み笑いそして飯を食う人間、と認識されているようであった。こういうときに、自分が酒をまあそれなりに飲めて、かつ飯をたくさん食べられる人間でよかったと思う。普段は太るから嫌としか思わないのだが。

 

三つ目はこれからの仕事の話。内定先を変えるつもりでいる。

これについては、半分思いつきのようなところがある。

それは何かというと、このまま東京にいって就職したところで別に面白くないな、という感覚である。つまらない。これにつきる。そしてつまらない上に、だれかよくわからない人に雇われて、搾取されるわけである。なおのことつまらない。

 

そうであるならば、もっと別に評価してくれていて、一緒に働いていて楽しいしかつやっていることの自由度も高いところで働いたほうが圧倒的に面白いと思ったのだ。

これは現在進行系だから、どうなるかわからない。そういう意味ではこれは「このときはそう思っていたのだな」という歴史になるかもしれない。どっちに転んでもどっちもそれなりには面白いと思う。でも僕はもっとも面白いと、現時点で思う方向に行きたいなと、そう思う。

 

 


大学についてゼミを聞いた。

後輩の研究題目がそろそろ決まり始めているようだ。良い研究ができればいいな、と心の底から思う。僕は良い研究をしているとは言えない。僕のようにならないでほしいと切に願う。


家に帰ってきて、走ろうと思ったけれど右足のアキレス腱が痛むので、今日はやめにした。今日は家で考えろとそう言われたような気がした。

まあやることはたくさんある。アメリカ大統領選挙でまさかのトランプが勝ったことについてだったり、最近買った感じの使い分け解き明かしを読んだり。とりあえずは久しぶりにお風呂にお湯を張って温泉の素を入れて、じっくりと温まろうと思う。今度はじっくり考える番である。