The sun rises again.

フィクション

僕にできること

風邪もすっかり回復して、動き回る元気ができたので最寄りの駅のパン屋まで散歩。小さな地元のパン屋さんというまあ別に取り立てて美味しいわけでもなく、かと言って気取った値段でもない、実に庶民的(という表現が良いのかどうかはわからないが)なパン屋さんで僕はこの店をすごく気に入っているのだ。

店にはいるといつもパンの耳がないかを探す。パンの耳をこのお店ではただで配っていて、金無大学生のみかただ。今日はパンの耳がなかったので大人しく食パンとサンドイッチ、それに小さな丸いパンをトレイに載せて会計を待っていた。

目の前にいたのは、いかにも浮浪者という感じのおじさんで、くたびれたノースフェイスのジェケットを着ていた。彼は会計のときにパンの耳を売ってくれと店の人に交渉をしていた。お店の人は困ったふうで、「これしかないのですが」と食パンの切れ端一枚を渡した。会計は1円。彼は1円玉がたくさん入ったビニール袋から一円を取り出し、会計をした。レシートも持って帰った。

僕はなんとかしたいと思った。少なくとも、お腹が空いているであろう彼の今の腹を満たす程度のお金は持ち合わせていた。100円ちょっとでパンは買えるのだ。しかしそれは偽善にすぎないこともよくわかっている。僕がいまそうやってお金を出したところで根本的な解決には何一つなっていない。本当に大事なのは彼がそうなってしまった境遇をなくすこと、そして彼がこれから生きていく術を見つけることを手伝えるような制度を作ること。それはわかっている。しかしそれは僕にはどうやっていいのかよくわからない。選挙に行けばいいのだろうか、市役所に行って「パンを買えないおじさんがいるんです」といえばいいのだろうか。よくわからない。

多分こういう人はたくさんいて、そして殆どの人はそれを見なかったことにしているのだろうと思う。かくいう僕もそうだ。僕も別に何かをしたわけではない。そう思ったことをこうやってこの誰も見ていないブログに書き連ねるぐらいしかすることができない。みんなの見ているfacebookに書くこともできない。それは書くことで「あいつは面倒なやつだ」と思われたくないからだ。糞。その程度の恐れと世の中がよくなったらいいなと言う思い、それを天秤にかけて自分の重みを重く取ったのは僕だ。糞。

僕にできることは何なのだろう。多分、少しでも行動に移すことなのだろうと思うけれど、自分に直接関係ないと、どこかで思っていて面倒なことをなかったことにしようとする物臭な心と相まって、僕は今日も特に何もすることはなかったのであった。糞。

 

そう言いながら、今日も僕はお腹いっぱいご飯を食べているのだ。糞。