読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

The sun rises again.

たのしくにっき

最近思ったこと

最近運動を良くするようになった。それはほとんど毎日のランニングだ。朝でも夜でも、気が向いたときにふらっと走りにでて、だいたい10キロぐらいを一時間ほどかけて走る。

大抵はお気に入りのプレイリストを聞きながら。たまにGooglePlayでおすすめされた、知らない曲を聞きながら。

走っている途中は、じっとしているときと違って走ることに集中しなくてはならない。だからとても心地よい。とはいっても何も考えていないわけではない。走る前にやっている作業のことだったり、はたまたちょっとむずかし目な哲学だったり。といっても走っているわけで、そこまで深くは考えられないのだが。またその浅く制限されている中での思考もとても楽しかったりする。ふと思いつくことに関してちょっと考えて、また別のことを考えての繰り返しだ。そうやってどんどんいろんなことについて浅く広く。今時分が何を考えているのかということを、ハイライトでなぞっていくような感覚。それがとても良い。

帰ってくると、僕は家に一人だ。一人で風呂に入って、シャワーを浴びて出て、そして大抵はパソコンの前に座る。その後は、研究のためのプログラムを書いてみたり、適当にネットでニュースを見たり、ツイッターを見たり。そうやって一日は流れていく。

腹が減ったら、適当に飯を作る。最近はまっているのは、トマト缶で煮込んでそれを適当にスパイスを入れて味付けをする、なんちゃって真面目カレーだ。レシピ通りには作らない(一回作ったけれど全然美味しくなかったのでもう作る気力がわかない)ので、味は安定しないし、そもそもカレーと呼べる代物かどうかは微妙だ。トマト臭いし、ターメリックを入れて黄色くなっただけという気がしなくもない。でもそうやって作ったカレー風の煮物を食べながら、お酒を飲んでいるときは、結構楽しい。

お酒はなんでも良い。酔えればよいのだ。酔って色々とどうでも良くなって、眠くなってそして眠れればそれでいいのだ。それがお酒ってもんだ。

そういうときに、ふと思う。僕はこれを繰り返し繰り返して、そして年を取っていくのだなと。こんな風に、何の生産性もない生活を繰り返していくのだと。

とはいえ来年から僕は働くことになっている。だからぱっとみ外から見れば、多分普通に働いていくのだろうと、そう思う。でも僕の中ではそれは全く意味のないことというか、別に働くことはそこに仕事があって、それをするとお金がもらえて、そして世間体がいい。これが一番だけれど、そうやるのが当たり前だからやることの一つであって、トイレをしたら流すというのと、大して変わりはない。ただの取り決めのようなものだ。

それは僕が就職した会社、それに就職した職種が、ちょっとばかり専門職であるからゆえに許されていることなのかもしれない。今僕はそういうふうに書いたけれど、よく考えれば塾のアルバイトのときも特になんとも思っていなかったし、別に飲食店で働こうがオフィスで働こうが営業に回されようが研究職をやろうが、実は僕の心の中では大差がないのかもしれない。休みが取れないとか上司が圧力をかけてくるとか周りの雰囲気が最低だとか、そういうことがない限り。むしろ仕事を何をするかというよりも、そういう環境の面のほうがよっぽど大きく聞いてくるような気もする。やはり人間は環境次第で生きたり死んだりする生き物だからだ。それは電通の女の子が死んだ話でもそうだし、ワタミの話でもそうだ。環境は人を規定してしまう。環境になれるのが早いのも人間の特性の一つかもしれないけれど、環境に抗うことにとても大きなエネルギーを必要とするのも人間だ。

僕は今とてもものすごく環境に甘えて生きているという自覚がある。今の家に生まれたこと、中学高校に行けたこと、大学へ行けたこと、大学院へ行けたこと、その間特に大きな失敗も、家族に関する大きな(些細なことはあったけれど)事件事故がなかったこと。あまりにもできすぎている用に感じる。そしてそのできすぎた環境に対して、甘い汁を吸えるだけ吸っているような、そういう背徳感がある。本当にこれでいいのだろうかと、自分に問いたくなることがある。しかし僕は問わない。問わないのは、問うた自分が辛いからだ。

もっとできるんじゃないか、もっとできたんじゃないか、本当はそうやって思っている自分が何処かにいる。

先日高校の友だちがアメリカへと留学することが決まった。仮に彼をAをする。Aは高校の時お世辞にも勉強ができるタイプではなかった。少なくとも僕は僕よりもできない奴だと、どこかで見下していたふしがある。だからといって別に軽蔑しているわけでも何でもなかったけど、そうやって心の何処かで彼を下に見ていた。
その後Aは浪人をした後、ある国立大学に入った。人間の足に関する研究をしたいと言っていた。彼は陸上部でとても足が早かったから、人間が早く走るにはどうすればいいのか、ということに興味があったのかもしれない。しかし僕は無理だろうと思っていた。なぜなら僕でも無理だった研究者になんか、やつがなれっこないと思っていたから。
しかしAはそれを叶えて、アメリカへと留学した。

負けた。僕は負けたのだ。下に見ていた彼に。
糞糞糞。負けた。僕は負けた。

勝ち負けではないことぐらい、よくわかっている。理屈ではわかっている。でも、だめなのだ。僕はそうやって自分の中で下に見ることで、くだらない心の安寧を得ていたのだ。まずその点に腹が立つ。そしてそうやって自分に都合の良いことばかりを見続けた結果、相手に追い抜かれたとき「負けた」と思っているその心にも腹が立つのだ。
お前には、負けたという資格すらない。
結局は、自分がいる環境に甘えているというところに行き着く。正確に言えば、自分が何もしなくても、自分を良いと言ってくれる環境へと落ち込んでその中でのうのうと生活している、そのことに腹が立つ。