The sun rises again.

フィクション

まいど、おおきに

今日目が覚めたのは午後1時をすこし過ぎた頃だった。外はセミの大合唱でそれ以外の音が何も聞こえない。

体がだるい。全身が汗でびっしょりとしていて気持ちが悪い。

前日に飲み過ぎたビールとハイボールが原因だ。最近は毎日とても暑いからどうしても夜になるとお酒が欲しくなってしまう。ほぼ毎日のようにビールとウイスキーを飲んでいる。

そういう生活をできるのも、今のうちだけだ、という人生最後の夏休みを謳歌しているといえば、聞こえは良いがやっているのはただの酒好きのおっさんと同じことである。

 

そんなおっさんは昨日ちょっとした買い物をした。久しぶりに本を買ったのである。科学の発見というハードカバー本と、あと二冊ほどの文庫本である。

気持ちの悪いものをさっぱりさせるためにシャワーを浴び、気持ち多めにつけた歯磨き粉ではを磨きながら、昨日買った本を読む。それはエッセイ集で、中に色々な本の紹介とか日記とか、まあ有り体なエッセイがつらつらと書かれた本である。

ぱらぱらと読んでいると、「風立ちぬ」について書かれている章があった。そこに書かれている風立ちぬは、とても魅力的な本に思えた。僕も一度風立ちぬを読んだことがあって、その時には正直言って大した本じゃないな、という感想を抱いた。なんだか風景の描写が細かいし句読点の区切り方があまりなくて読みにくいな、としか思っていなかった。

その風立ちぬが、あまりにも面白そうなふうに紹介されていて、驚いた。

しかし、不思議なのだ。この物語は悲しくない。ふさわしい形容詞を一つだけ選ぶとしたら、(中略)「悲しい」は上がってこない気がする。

それほどこの物語には悲壮さが薄く、感傷からも離れ、なにか透明な、確かな明るさに覆われている。

 本棚の棚卸しをしていて床一面に広がっている蔵書の中から、風立ちぬ岩波文庫を探してきて、読みなおした。

明らかに、はじめの読後の感想とは異なっていて、そこにあったのは終わりが残酷なまでに決まっている二人の生活なのだけれど、それを必死にそして幸せに生きようとする姿だった。

死に近いところぎりぎりにいるのに、しあわせそう。そして美しい風景描写。

なぜ僕はつまらない本と思ってしまったのか、不思議でたまらなかった。理由はいろいろあるだろうけれど、その一つとして、このエッセイの解説を読んでいたから、というのもあるような気がした。作者の風立ちぬへの愛を感じたというか、ただ有名だからという理由で読もうと思った前回と、本への向き合い方が違っていた。

そう思うと、本との出会いの手段とか時間とかって、とても大事だなと思わされる。風立ちぬに再開させてくれたこのエッセイに、感謝である。

感謝したついでに、その中で取り上げられていて面白そうだと思った「きみはいい子」を買いに近場の本屋へと行った。

ポプラ社の文庫本コーナーからきみはいい子を見つけて、会計をすませて、さあ帰ろうという時に、書店員さんから「お熱い中、ありがとうございました。まいどおおきに」と声をかけられた。

ふつう声をかけられても「ありがとうございました」ぐらいだと思うので、ちょっと嬉しかった。向こうからすれば、一日になんども言っている言葉なのだろうけれど、ありがとうございましたよりも血が通っている気がしたのだ。

その「まいど、おおきに」で買った本は、案の定良い本だった。巡り合わせは、あると信じている。