The sun rises again.

フィクション

発表

久しぶりに人の前に立って喋る機会だった。とても緊張した。おそらく同じ会社の同期にも社長にもそれは気づかれていて、明らかにいつもよりも優しい顔で「自分はもっと緊張したし、大丈夫だから」と言われた。 実際はどんな顔で言われたかは緊張しすぎてよく覚えていないのだけれど、多分優しい顔だったように思われる。

僕の発表は大トリだった。はじめに、発表に際して会の主催者がこの会についてや会社のことについて紹介した後、続々と発表が始まった。 僕よりも前のひとたちの発表はどれも、思っていたよりもレベルの高いものだった。 発表のメモをとるふりをしながら、僕はもうさっさと帰りたいとしか思っていなかった。

昔から緊張するとどうしようもなくなることばかりだった。 小学校で野球をやっていたとき、一番最初に代打で出た試合のことを今でもよく覚えている。 足が震えるし、手も震えるし、とうていボールを打つという状態ではなかった。 ずっと打席で震えて、全てのボールを見送ってフォアボールだったように記憶している。 外野を守っているときも絶対に僕のところに飛んできてほしくないとずっと思っていた。

大学のときの卒論発表会もそう。大学院の論文紹介もそう。 全部声は上ずって、脇には嫌な汗をかいて全身びっしょりだった。 それが気になって、余計に汗をかいて、死にたいと思うことばかりだった。

僕はなぜか人の前に立つ場所に行くと、うまくやれないのだった。

一方で、人前に経たなければいろいろとどうでも良いことを偉そうに言うのであった。 人の発表にも文句をつけるし、あれはつまらなかったとか、自分ならもっとうまくやれるとか、そういうことばかり思う人間であった。 自分がそういう場所にたったとき、人よりも緊張するのもおそらくそれが原因なのだろうと思う。 人をいつも下に見ているから、自分がいざ評価されるという機会になったとき、緊張とうまくやってやろうという束縛とで、どうにもならなくなってしまうのだった。

そんな自分がとても嫌いで、それを変えたいとずっと思っていた。そんなときに今回の発表の機会が回ってきたのである。「無理なら僕がやるけど」と言われたけれど自分で手をあげて発表をやらせてもらった。 もし僕が受けなければ、やったであろう人が最近忙しそうで、暇な自分がという気持ちも一部あった。しかし、本当の理由は、自分はちゃんと人前に立ってそれなりに喋れるんだ、というふうに自分に見せつける機会をもらうためであった。僕は自分に自身が無いのであった。矮小な自分がとてもとても許せないのだった。生きていて申し訳ないと思うのだった。

そうして今回発表をした。今回の発表には少し秘策があった。というのも、誰かになりきったつもりで発表すれば恥ずかしくならないだろうと思ったのである。 準備として、前日に大量に藤井猛の出ている将棋解説の動画を大量に見た。あの軽妙で楽しい喋り方が出来れば良いと思ったのである。残念ながら実際には発表前にはそんなことまったく頭のなかから消え去っていたのであった。 結局恥ずかしい発表をして、申し訳程度のそれっぽい質疑応答があって、会は終わった。結局今回も僕は僕を許せるような発表が出来なかった。いくら準備をしても、練習をしても、本番で声が上ずって、震えてしまっては全く意味がないのである。これは僕が僕を許せるようにならないと、治らないのだろうかなと思うの。

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なんてことはない火曜日だった。朝起きてからランニングして、オフィスに行くといつもの通り上司は遅刻していて、お昼には近くの定食屋で同期とご飯を食べ、突然降ってきた仕事にひいひい言いながらなんとか片付けて。

そして二年ほど付き合っていた女性と別れた。 別れを切り出したのは僕の方だった。いつもの通り僕の家の近くの汚い居酒屋で酒を飲んでいた。彼女は中ジョッキの、僕は大ジョッキ1Lの麦酒を飲んでいた。いつもならさっくり飲めてしまうのにその日はなんだか喉に支えるような感じがしてこれをすべて飲み干すのは困難なのではないかと思われた。 彼女と会うのは久しぶりだった。曰く三週間ほど会っていなかったらしい。らしいといったのは僕はその三週間という期間を数えていないし前回会ったのがいつだったのか、そして何をやったのか何を話したのか全然覚えていなかったからだ。それは別に彼女に興味がないとかもう嫌いになったとかそういうのではなく、そもそも人とあった記憶を覚えておくことが難しいのだった。そしてそれは彼女も例外ではなかった。

三週間会わなかったこと、連絡が滞りがちだったことに彼女は不満があるようであった。途中数回会う約束はしていたけど、何か他の予定が入ったり僕が体調を崩したりして流れていた。

会えないのは別にかまわないけれど会えなかったことに対してとくに残念そうな感じもないし、こちらから連絡をしても帰ってこないし、急に予定をキャンセルされたりするしそういうのは良くないよね、と彼女は言った。

これももっともな主張であろう。僕が逆の立場であっても同じことを言うだろう。会えなかった日のツイッターに「今日は一日寝ていたから勉強できなかった」などと言われるとこの人は自分と会うことよりも大事なことで頭が一杯で、ないがしろにされていると思うだろう。それは当たり前だし僕のデリカシーはまったく足りていなかった。

その相手の反応に対して僕は何も言うことはないし僕が悪いのだと思う。

では僕はこの自分の行動を直すことは出来るのだろうか、そもそも直す気はあるのだろうかと考えたとき、それはNoであった。僕は明らかに、彼女と会うよりも家で寝ていたいと思うし、勉強をしていたいのだった。別に彼女が嫌いなわけではない。むしろ好きだといえるけれど、でも彼女の優先順位と僕のそれとは大きな乖離があるのだった。

僕は彼女と付き合い始めたときそれはそれは楽しい気分になったし、すごく幸せな気分になった。今思うとあれは、日頃なれない環境に飛び込んでただ興奮していただけのようにも感じられる。あれが男女の愛であったのかどうかについて、僕は未だにこたえを出せないでいる。愛とは何なのか、僕にはよくわからない。

付き合いましょうと言ったのは僕であった。終わりにしましょうと言ったのもまた僕であった。最初から最後まで彼女は僕に振り回されて、そしてそれに対しては文句を一言も言わなかった。

嫌いでないのになぜ別れなければならないのか説明責任を果たしてほしい、と何度も懇願された。

僕としてもそれに答えたい気持ちはあるが、僕としてもそれに明確な答えを出すことはできない。 ドラマか小説ならば僕が悪いのだ、あなたを嫌いになってしまった、とかなんとか言っておけば、僕が一発殴られたりするかもしれないがそれでその二人の仲が終わってピリオドとなるのだろう。しかし僕は彼女に嘘をつくことはできなかった。 それは好きとか嫌いとかはわからないけれど、人間として彼女のことをとても尊敬していて、そんな人に明確な意思を持ってウソを付くことができなかったからだった。それは僕が責任を逃れているからだという意見も方方から聞こえてきそうだしそうかもしれない。でも嘘はつきたくなかった。本心を話したかった。それが彼女に対する礼儀であるように思われたからである。

わたしは納得していない、と言われたが僕はそれを無視して最後の別れを告げた。

この判断が良かったと自信を持つまでにはもうしばらく時間がかかると思われるが、後悔はしていない。これは最良の判断であったと、僕は思っている。良い人と付き合えて僕は幸せだった。最後まで彼女はとても美しい素晴らしい人であった。

2017/08/29 社会との距離感

最近色々なことを考える余裕がなくなっている。というより一つのことに集中して立ち向かうことができていない。昔は本を一冊読むなんて造作もないことだったように思われるが、今では好きな本ですら数ページ読むのでもしんどい。集中が続かない。そうして昨日も堕落論を数ページとセロ弾きのゴーシュを読んだだけで精一杯になってしまって、インド哲学なんてまったくもって読めなかった。正確には一章だけなんとかページをめくり続けたものの何も頭に入ってこず、気づいたら30ページで前後の文脈もわからなくなっていた。文字列としては頭が認識しているし発音も意味もわかるはずなのに。

こういう現状を鑑みると、本を読むという行為は本質的に相当な集中力を要求される作業であることがわかってきた。こちらが準備万端になっていないと、本から何かを得ることはかなり難しい。読んでいても楽しくないし、中身もわからない。そして僕はその準備が最近できていないのだろう。

ではなぜ準備ができないのかということだけれど、これはおそらく慢性的なカフェインによる薬漬けおよびアルコール、あとは仕事上のストレスが原因であろう。もっともカフェインに関しては昔からであるから、おそらくはアルコール及び仕事。特に仕事のストレスは大きい。

そもそも人と長時間一緒に過ごすということがやはり苦手だ。それは相手が僕と仲が良くても、である。どうしても気を使う。

 

一番つらいのは何気ない会話を何気なくできないときだ。

何かを質問されて不意に答えた内容が相手を不快にさせたとき。僕には相手を傷つけるつもりも不快にさせるつもりもなく、他の作業に思考の大半を向かわせつつ適当に処理した会話が、一般的社会人というか人間というかのグループとして擁護できない発言になってしまう。

この事実自体が僕自身が社会に溶け込めれていない証拠の一つのように感じられる。会話に意識を集中してただどうでもよいウケ狙いの発言をするときだけが安寧で、しかしそのウケというのはどこかで見たり聞いたりしたのをそのままコピーしているわけであって、それ自体に僕は無い。

そして、それをやるたびに僕は僕ではないその行為が社会をなごませているその現場を否が応でも見せられると同時に、僕自身はそこからは排除されているのだということを見せつけられるのである。

京都

今日から弊社ではお盆が始まる。大企業だと9連休とか11連休もあるみたいだけれど、うちのような零細ベンチャーではお盆は5連休である。実家に帰ろうかなとも考えたけれど、世の中が一般的に休みなときに帰るとなると交通費は高いし人は多いしでそれを考えるだけでうんざりしてしまって、結局帰るのはやめてしまった。

それと同じ理由で何処かに旅行に行くとかも特に考えなかった。

何処かに行くということの喜びよりも、人がいっぱいいるところにわざわざ大金をはたいて行って、用意された観光じみたなにかをして、ということが特に面白いとおもわなかたからである。

大学生のときは旅行に行くのはかなり好きで、休みがあるたびに(そして無理矢理に学校をサボって)いろいろなところに出かけていたので、なんで僕は今旅行に行くことに価値を感じないのだろうとちょっと考えたけれど、あれは世間が休みではない空いているところに出かけることが楽しいのであって、特段その場所だったりは二の次だったのだと言うことに気がついた。

別に出かけなくたって楽しいことはたくさんある。家にいたって本を読んだりプログラムをしたり論文を読んだりやることはたくさんあるし、スーパーまで行けば食料および酒も買えるし、安上がりだ。別に温泉旅館の晩御飯でなくたって、家で風呂に入って風呂上がりに麦酒を飲むのだって、楽しいものだ。

そうやってぼんやりお盆最初の金曜日を過ごしていた。昼頃に起きて、そろそろ髪を切らないと流石に社会的にまずいと思い髪を切りに行った。美容室のお兄さんとエウレカセブンがとても良いという話で盛り上がっていたとき、先輩から「今日飲まないか」という誘いがあった。場所は京都のよく行っていた居酒屋だという。久々に京都に行って、懐かしい人達を会うのもお盆じみていて良いなと思って、阪急電車に乗って河原町に行った。京都は昔とぜんぜん変わっていなくて、大阪よりも気持ちモワッと湿度を感じた。木屋町の観光客と客引きの入り混じった懐かしの空間を通って、小学校あとの近くの居酒屋に行くと、すでに先輩たちは揃って僕を待っていた。

みんな大学院のときとほとんど変わっていなくて、自分が大学院時代に戻ったような感覚に陥った。下鴨に変えれば僕の下宿があって、昼頃に起きてサンドイッチを買って家でコーヒーを飲みながら論文を読んだり勉強をしたり本を読んだりランニングをしたりしていたことを思い出して、少し感傷的な気持ちになった。

先輩方は各方面でまあざっくりいうとうまいことやっているようだった。みな仕事は楽ではないけれど、やりがいはあるし楽しい、というのを聞いて僕もそうやって働いて行けたらいいと思った。二次会三次会と終電がなくなるまで飲んだあと、先輩の宿のある西院まで一緒にタクシーで移動した。僕は別に西院まで移動する必要がなかったのだけれど、河原町にいたってどうせ居酒屋の飲み放題とかで朝まで過ごすぐらいしかなくてつまらないし、それならもうちょっと話ができるし西院まで行ってもいいやと思ったのだった。

西院は、僕が思っている以上に何もない駅だった。空いているのは駅前のマクドナルドだけ。とりあえず入ってコーヒーと適当なハンバーガーを注文して本を読もうと思ったけれど、全然頭に入ってこないし面白くなかった。それならいっそどっかに移動してしまえと思ってふと渡月橋がみたいなと思った。地図で調べるとだいたい1時間半位かかるらしいが、どうせ他にやることはないしと思って店を出た。

適当にブラブラとあるき続けた。特に記述することはない京都の郊外の殺風景な道が続いたあと、桂川にでて、それを川上に歩いていった。満月ではなかったけれど、6割ぐらいの大きさのある下弦の月が天上に明るく輝いていて、足元はとても明るかった。とても良い風景だった。足はヘトヘトだし、ちょっと酔いが残っているし体はバテバテだったけれど、なにか大きな満たされた感覚を覚えた。今日京都に来てよかったなと思った。

2017/07/12

朝起きると、セミがわんわんと鳴いていて、ジメッとした空気があたりを漂っていて、それはもうまさに夏だった。 前の晩に夜遅くまで本を読んでいたので幾分頭が重たい。

読んでいたのは、囚人が本をよむ会をボランティアで開く女性が主人公で、はじめはあまり本に興味を持っていなかった囚人たちが本を読んでいくに連れてその面白さ、奥深さに気づくと同時に、自分の生きてきた軌跡や人間が生きるということはどういうことなのか、といったことを考え始める、というようなやつだったような気がする。 なにせ私は記憶力が無いので、読んでいるときは夢中でも終わるとすぐに忘れてしまうのである。 今も昨日読みながら書いたメモを見ながらなんとなく思い出しつつ書いている。

  • 贈り物をすること
  • 充実した時間を過ごすこと
  • 体で触れ合うこと
  • 相手のためになる行為をすること
  • 肯定的な言葉をかけること
  • 葡萄, えびちゃ(葡萄茶)
  • 怒りの葡萄
  • 第一次世界停戦戦追悼記念日がアメリカにはあるのに日本には第一次どころか第二次すら無いのはなんでだろう
  • オンタリオ湖
  • トロント, 隣には Ajax
  • アマースト島, Amherst Island
  • サラエボチェリスト
  • 捨て鉢: 望みを失ってどうでもいいと思うこと、自棄糞.

なんだかいろいろなことをメモっているようだが、ぼんやりとしか思い出せない。 メモというのは書いている瞬間の満足感で終わってしまって、ほとんど見返さないしこうやって見返してもあまり思い出せないので、僕にとっては「記憶と思考のアリバイ」程度の意味しか持たない。

昼ごはんにサブウェイのサンドイッチを買っていった。 生ハムとマスカルポーネ。今日はちゃんと発音できた。気がする。今日は外が涼しいのもあって、緊張せずに注文できたからかも知れない。 いつも少し動くだけでとんでもない量の汗を書いてしまうから、それが気になっておちおち注文もできないのだ。 相手からどういう風に思われているのかが気になってしまって、この場をすぐにさりたくなってしまう。多分僕が思っているよりも相手はそんなこと気にしていなくて、むしろ僕がトマトとオニオンを多めに注文したことで頭がいっぱいになっているかもしれない。特に今日の店員さんは新入りだったのか、セサミのパンを切るのもぎこちなかったし、オイルアンドビネガーで頼んだのにバジルソースをかけたり、まあ結構いろいろやらかしていたので多分僕の方を見る余裕なんてなかったに違いない。 それがわかっていても僕は汗をかいてしまう、滝のように。本格的に病気かもしれない。

オフィスに行くと、同期の二人と事務の3人だけが来ていて、上司はまだ出社していなかった。これもいつものことだ。特に気にはしない。 適当に仕事をしながら、昼になるのを待つ。 同期の二人は外に御飯に行くらしい。僕はサンドイッチを買っていたけれど、それについていくことにした。 ちょっと仕事に集中してたのと、前日の夜あまり食べず朝も抜いていたから、お腹が空いて仕方がなくなっていたのだ。 というのは一つの理由で、もう一つはこの三人でご飯を食べるのが僕が好きだからだ。上司と一緒にごはんに行くのも好きだけれど、やっぱり会社での上下関係というのは、御飯の場であってもどうしても意識してしまう。

あともう一つ大事な点は、彼が御飯中にタバコを吸うのが好きではないから。 それに加えて歩きタバコをするし、それをみちばたに捨てるのである。やっぱりこれはどうしても許すことができない。 僕が何も言わないからだと思うけれど、吸ってもいいかという一言すら無いし、あと道に捨てるのはもうどうしようもない。どうしようもない。 今更僕がやめなさいなんていうのも違うし、言ったところで直るとも思えない。直ったとしても僕の前でだけとかだろうし、それは根本的な解決にはなっていない。

別に僕は世の中からすべての悪いことをなくしたいと言っているわけではないし、理想はあるけれどそれは無理なのも知っている。でもそれを目撃して、見なかったふりをすることを強制されることは、どうしても許容できないときがある。ここ最近は特にそうだ。だからできれば彼と一緒に行動したくないのだ。

でも一方で彼の良いところも知っているし、人間を短所だけでダメだと判断することも僕は好きではない。なので現在は悪い面を見ないように、という方針でなんとか僕の精神衛生を保つ作戦に出ている。毎日我慢するのはそれなりに苦痛なのだ。

話がそれた。結局僕は同僚と一緒に御飯を食べに行った。 行きつけの居酒屋のランチ。 店内はとても落ち着いた雰囲気で、周りは近くのオフィスのサラリーマンでごった返している。 いつも頼むのは700円の刺身定食。値段の割になかなかのボリュームで、御飯も美味しい。そして何よりみんなタバコを吸わない。良いご飯である。

会社

今日、朝7時頃に起きてああ今日も会社に行かなくてはだめだと思った瞬間に、とてつもなく会社に行きたくないしまったくもって頭は働かないしもうこれはだめだと思って、会社を休んだ。

「体調不良により本日はお休みさせていただきます」

僕が所属している会社はそれはそれは自由な環境で、基本的に朝は昼までなら何時に来てもいいし、8時間働いたら帰っていいし、休日出勤もない。素晴らしい環境である。しかしその一方で、正社員ではない被雇用者は実力がなければ無慈悲に解雇されるし、残業がないと言ってもやるべきことは降ってくるし、そしてそのやるべきことを自分で作成する必要もある。ぼーっとしていると自分がやる仕事がなくなるのだが、そうやってぼーっとしていると私がやった仕事がないことが判明し、そして私は用無しになってしまうすなわち解雇である。

はじめはこの環境は自由に仕事ができて素晴らしいと思っていたが、仕事の内容が僕が本来想定したこととずれて来ていることや、仕事の内容がとても泥臭くそして僕の頭をかき回すようなものなので(要するに僕がこの仕事が苦手なのだ)、次第に耐えきれなくなっていっているのを感じるのだ。

多分どの会社に行こうとも同じことは起こるのだろうけれど、今の僕には少々つらい。

土曜日

ここのところ数週間、土曜日を一日まるごと睡眠に費やしている。いつもの日よりもちょっと寝てしまったとかではなく、本当にまるごと一日寝ている。今週は、金曜日(というか土曜日)の夜1時ごろに寝て、起きたのは土曜日の21:34だった。ざっと21時間、ぼんやりと眠っている。

睡眠の質もそんなに良くなくて、殆どの時間は寝ているというよりも、ぼんやりと夢のような、考え事のようなことをしている。

普通の人の7分の1の時間を睡眠に費やしているのだから、休日に色々することができなくなり、結果自分がやりたい余暇の活動ができなくなっていっているのは当然のことである。しかしこの睡眠が終わったあとの頭の中の清涼感というか、思考の明瞭さは、平日朝起きたときとは比べ物にならない気持ちよさがあるので、やめられないのだ。

そして起きて珈琲を入れて、ホットケーキを焼く。