The sun rises again.

フィクション

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ホワイトデーのお返しをしなくてはならない。そう気がついたのは、すでにホワイトデーがとっくに過ぎた3月半ばであった。そもそも、バレンタインデーとか、ホワイトデーとか、ハロウイーンといった行事に対して、あまり関わりのない人生であったため、日付を覚えていないのである。クリスマスとかろうじて私の誕生日を覚えている程度であって、もっというと自分の誕生日も数回間違えたことがあり、一度銀行で本人確認の際に間違えた時には、日付が2日、年号が2年違っており、口座が危うく凍結されかけた。

今お付き合いしている彼女は、それこそ世の中的には普通の女の子であるから、そういう記念日だったり、行事ごとに何かしたいし、してほしいと思うタイプのようである。であるから、私が二人が付き合うことになった日にちを忘れていたり、自分の誕生日であることに、彼女に言われるまで気が付かなかったりすると、とても不機嫌になる。私が逆の立場で、そういった記念日を大事にしていて、相手がそれに対して全く頓着しないようであったなら、当然不機嫌になるであろうから、彼女の気持ちはとても良くわかる。もう少し気を使ってくれても良いのに、もっというと、自分を大事にしてくれているのであれば自分がそういう区切りを大事にしているのだから、相手にもそれを大事にしてほしい、ということであろう。尤もな意見である。

ホワイトデーがもう過ぎたことはSNSを見て気がついた。よりにもよって、彼女がホワイトデーに何もなかったことを不満に漏らした投稿を目にしてしまったのである。この時点で私は、ホワイトデーにたいしてホワイトデーじみた、何らかの行動を起こす必要に迫られた。相手への思いがあり、またホワイトデーが在るということに気がついてしまった以上、避けることができない。

実を言うとそれまでも既に、クリスマスにもプレゼントを貰い、誕生日にもプレゼントをもらい、バレンタインデーにもケーキを貰っている状態であった。また、こちらが何かを買ってあげようと思っても、今は欲しいものがない、と一蹴され何も返すことができていないので、現時点で彼女に対して3回分の借りがある。よって今回私は3回分に相当するものを渡さなければならないことになる。

普通ならバレンタインデーにもらうものがお菓子であるから、お菓子を返すのが筋であろうが、今回の状況ではどれだけ高級なチョコレートを送ったとしても駄目であろう。そうなるとものを送ることになるが、残念ながら私には女性になにか贈り物をした経験が無いし、雑誌その他でどういうものが女性に好まれるかを読んだり調べたりしたこともない。何か贈らなくては、という思いはあるのに贈るものがわからない。

しようがないので、とりあえず大丸に行ってみた。とりあえず知識のない私でもなんとなくアクセサリーならばいいのではないかと思い、いつもは行かない、3階にあるアクセサリー売り場に行った。数々の有名ブランドが軒を連ね、そこにいる店員はほぼ100%女性で、なんとも言えない笑顔を振りまいている。正直この時点で家に帰ろうと思った。慣れない場所にいることとそしてブランドとお姉さん方の威圧に、やられてしまったのである。

気が動転しておかしくなってしまいそうだったので、一端エスカレーターで上まで上がって書店に入り、読みもしない本を物色しつつ、心を落ち着けた。 買わずに帰っても、どうせ何を贈るかで煩悶とするのだから、と覚悟を淹れて、再び3階にもどる。ブランドもよくわからないが「ティファニーで朝食を」という映画が面白かったのを思い出して、フロアの中でも威圧的に存在するティファニーのブースに入った。はいると足元は異様にふわふわした絨毯が敷き詰められ、壁にはティファニーで朝食をオードリー・ヘップバーンの肖像がが飾られ、なんとも言えない笑顔のお姉さんたちが出迎える。ここでやられてしまっては駄目なのだ、私には使命がある、やらねばならない。そう言い聞かせて、お姉さんに話しかけた。

予算のことか、誰に贈るのかとか、誕生日プレゼントかどうかとか、いろいろ聞かれたような気がするが、よく覚えていない。予算以外に関しては動揺しすぎていて、ほとんどでまかせ、嘘ばかり言っていたような気がする。本当のことを喋るより、空想のことを喋るほうが、喋りやすいことは、ままある。私は服屋で自分の素性を聞かれた時にも、同様に嘘ばかりついてしまう。

あとは、渡すタイミングでホワイトデーを過ぎてしまったことを詫びる、という仕事が残っている。女性にプレゼントと渡すというのは大変な重労働である。

「京都から離れるの。寂しいものですね。」

「はあ。」

「今度はどこに行かはるんですか?」

「大阪です。」

「大阪!東京京都ときて今度は大阪ですか!いろいろ行かはりますね。次は北海道かな?」

「はは。ことによると沖縄かもしれません。」

「でもあれですねえ。大阪なら、京都もすぐ来れますね。また遊びに来てくださいね。いつか会える日を楽しみにしています、というとなんだか、今生の別れみたいで変ですね。」

「はあ。」

「ではまた。」

私は当たり障りない話が苦手である。

進行よし

久しぶりに香川に居る母方の祖父母の家に行った。仲が悪いというわけではないのだが、ただ物理的に香川が遠いという理由によって、あまり顔を見せる機会がなかったので、就職という節目で一回会いに行ったらどうか、という話になった。

松山から特急しおかぜに乗って香川坂出に向かう。この特急は岡山に行くしおかぜと、高松に行くいしづちが途中まで連結された状態で運行され、多度津で香川の駅で岡山行きの車両と、高松行きの車両が切り離されるという仕組みになっている。高松行きの先頭八から五号車はどこかと松山駅ホームで探しながら、小さい頃にドキドキしながら特急しおかぜに乗ったのを思い出していた。あの頃は電車に乗るのだけで一大事である。しかも特急であるから、興奮度合いも尋常のものではない。両親の可愛い子には旅をさせよの精神かなにかによって、幼い弟と二人で電車にのった私と弟は、なれぬ電車と未知の坂出の祖父母宅を目指して、大航海時代の海賊のように意気揚々と、そしてどこかに母親の元を離れるという悲しみ寂しさをいだきながら、電車の車窓を眺めていた。

私にはもうそのような感覚を味わうことは、こうやって過去を思い出す以外には、不可能となった。もう24才なのである。坂出駅について、久しぶりにあった祖父母はなんだか、小さくなったように思われた。大きくなった、と言われたけれど、私には、彼らが縮んだように思われた。

車で祖父母の家まで移動し、雑多な話をする。私がもう働くということを見据えてなのか、今までにはしなかったであろう話を、たくさんしてくれた。お見合いのこと、その時の縁のこと、仕事をするということ、年をとるということ。そうとは言わなかったが、彼らの生きることに対する哲学、考えていること、その一端を私に対して公開しても良いと、そう思われていることをひしひしと感じた。もうこの孫は、子供扱いしなくても良いのだ、そういう意図を感じた。

一方の私はどうか。残念ながら、それに応えられるだけの、能力そして覚悟を持ち合わせているとは、到底思えない。やっていることは、自分がやりたいと思っていることを、だたのんべんだらりとやっているだけである。生きるということに対する、覚悟がないのである。事実、これからどうなるのかということに対して、私は適当なことを述べることはできるが、本心からどう思ってるかを述べることは、できないのである。それは考えていないからである、考えることから、逃げているからである。

私には、祖父母のその認めてもらえているという思いには、とてもうれしいと思う一方で、その期待には答えられそうにない私の意気地なしの心に対して、申し訳なく思うのである。一言私は、あなた方が思っているような人間ではないのです、と言ってしまおうかとも思われるような、そんな心地であったが、それを言ってしまえば私が楽になり、彼らは落胆するであろうことは、目に見えているので、言わなかった。こうやって私は、段々と自分の気持ちを打ち明けることができる場を、失っていくのであろう。

坂出を出て、岡山へと向かう電車で、私は先頭車両に乗った。運転手は新人のようで、隣には指導教官と思われる人が、つきっきりで指導をしていた。「進行よし」「進行よし」。気分のいい声が、一枚壁を隔てている客室へも響く。私は、電車に乗りたくて、また運転したくてたまらなかった小学校の時分を思い出しながら、新人車掌の一挙手一投足に、見入っていた。

彼女は仕事ができない

スーツを買いに行った。地元の商店街に入っているチェーンの店で、以前京都でも数回そこでスーツを仕立てたことがあり、その時の価格と形が気に入っていたので今回もそこで買おうと思ったのである。

びっくりしたのは、夏に入っていたはずのサイズが入らず、ひとつ大きくするかどうかを迷わなくてはならなかったことである。下半身が太ったような気はしていたが、そこまでになっているとは思っていなかった。ランニングをこまめにしている状態でこの有様では、社会人になってからどうなるのか、先が思いやられる。

 

私の体型もさることながら、対応した店員がさんさんたるものであった。

まず店に入り、ピンストライプのスーツ(私が持っているのは就活用の濃紺のスーツと明るい青のスーツしかなかったのでストライプのものが欲しかったのである)を探していると、まだ決まってもいないのに「どんなスーツをお探しですが」と、30に行かないぐらいのちょっと太った女の店員が話しかけてきた。「いやまだ見てるだけなので」と遮ろうとしても私の身長だのウエストだのをしきりに聞こうとする。一旦無理矢理に切り上げることに成功はしたものの、そのへんのセレクトショップのような話しかけ方をしてくるその店員に若干のいらだちを覚えずにはいられなかった。どうやらその店員は私の担当にあてがわれたようで、その後2着のスーツのサイズを出してもらおうとすると、2つ同時に探せば良い物を、ひとつのスーツだけを持って現れたり、Y体とA体のサイズの違いを聞いても、「Y体は一番小さくてA体はその次に大きいです」と答えたり(私が聞きたいのはどの部分がどのように大きいかであって大きいことぐらいは知っていることは前後の文脈でわかるのに!!!)、ネクタイを結ぶのがやたらと遅かったり、私の裾直しは「3日かかります」と言ったあとで後で来た客に対しては「裾直しは30分でできます」と言ってみたり(しかもそれを私に聞こえる音量でいう)、さんざん時間を食って会計だという場面で突然シャツとネクタイを合わせ始めたり。要するに散々な接客であった。

一緒に来ていた母はその無駄だらけの接客に完全にキレていて、途中から全く喋らなくなった。店から出た後もずっとあの店員はダメだと繰り返し私に話していた。そうしないとやってられない、と言った空気であった。

 

私も確かに母の言うとおり、ダメな店員だったとは思う。お世辞にも気持ちがいい接客ではないし、ひとつぐらい文句を言っても別にバチは当たらないだろう。

しかし、同時にひとつ思うのは、彼女は多分仕事が向いていないし接客業も向いていない。しかし仕事はこなそうとはしていたのであった。

仕事をこなそうとしていれば仕事になるもんでもなかろう、というのももっともであるが、まあやや言っても仕方ないし、私は気に入ったスーツが手に入ればそれで良い、としか思っていなかったため、彼女に対してそこまでの嫌悪感を抱くことはなかったのである。

むしろ、こんなに向いていない仕事であろうことは、彼女自身が一番良くわかっているはずなのである。完全にこれは想像であるが、そう思わせる何かが、彼女には漂っていた。
そのせいか知らないが、店舗においても他の店員との関わりとか会話は一切なく、反対に他の店員同士は楽しそうにおしゃべりをするシーンも見受けられた。そう彼女はあの場において、浮いているのだ。それでもやはり、仕事を放棄するわけにも行かず、今日もまた仕事をしているのである。全部想像であるが。

そう思うと、無下にもできないような気持ちが湧いてしまい、一旦上がってきた文句が沈んでしまうのである。別に私一人がこうやって怒りとか文句を押し殺したところで、実際彼女が仕事ができないのには変わりないし、同じ値段で受けるサービスという面で言えば彼女は失格であろう。しかしこれに失格を押してしまうのは、なんともやるせないのである。

「あー仕事できないんだな、でも必死にやってるみたいだから許してあげようか」という余裕があっても良いんではないかと、スーツ屋を出て母の気分直しに入った珈琲店で、エスプレッソを飲みながら考えていた。

インフルエンザ

その日は久しぶりに高校の同期と旅行に出かけていた。

学生最後の休みを故郷の四国で遊ぼうと企画された旅行で、前々日には市内を駆けまわって松山城、分校ラーメン、母校、そして道後温泉と飛び回り、前日はレンタカーを借り、四万十川で川遊びをしたあと高知のひろめ市場で延々と酒を飲んでいた。

頭の痛さで起きたのは、朝の1時頃である。異様に頭が痛い。宿酔をして頭が痛くなることはまずないから、これは酒だけのせいではないとすぐに気がついた。同時に体じゅうの関節が痛む。そして喉が痛いし、起き上がるとふらふらする。そして体が火照っている感覚がある。これはただの宿酔ではないなと思いながら、洗面台に行き顔を洗い、手洗いを水に濡らして額にあてて熱冷ましとして寝ようとしたが、なかなか寝られない。とにかく頭が痛いのである。そのまま寝たか寝てないかよくわからないまま唸り続け、朝になった。あの時ほどぐうぐういびきをかいて快適そうに眠っている友人を恨んだことはない。朝になっても事態は回復せず、朝飯を食べるような元気もないまま、私の体調を憂慮した友人たちの手によって、愛媛に強制送還されることとなった。

私はもちろん体調が悪いため、もう一人運転できる友人が運転をすることになった。私は後部座席で死んだように虚ろになっていた。なにせ頭が痛くて全く眠れないので、結果徹夜のような状況になってしまっているので、体調不良と相まっていろいろな事柄への精神的耐性が極限まで下がっているため、高速道路の揺れすら恨めしい。

人間は余裕がなくなると刺々しくなってしまう、脆い存在である。苦しさを紛らわすため友人たちへ話しかけ続けていたけれど、相当に失礼な物言いをしたような気がしてならない。ここで謝ったところで全く意味はないのだが、申し訳無さでいっぱいである。今後合う機会があれば、必ず謝っておこうと思う。

家に帰ってきてとりあえず眠ればどうにかなると思っていたが、眠っても全く事態は良くならず、ついに病院にいくこととした。病院につくと、土曜日であることもあって、私以外の患者は老人もしくは赤ん坊だらけであって、20代の患者は私一人であった。明らかに私は浮いていた。

受付の看護婦の扱いも「君なら別に死なないだろうになぜ来たんだ」と言わんばかりのぞんざいな対応であったが、それも尤もであると思った。なにせ私以外が死にそうなのである。その後、検査までだいぶ待たされたが、死にそうなぐらいに痛い頭を抑えながら「私は後でもよいのでもっと大変な人から見てやってください」とずっと思っていた。冷静に考えれば、私自身その時は40度に近い熱を出していたから、十分に重篤な状況ではあったのだが、40度の熱でうなされた頭ではそのような冷静なことも考えることができず、中途半端な悟りを開いたような状況に陥っていた。結局順番通りに見てもらい、インフルエンザA型であると診断をされた。インフルエンザにかかるのはおそらく高校生の時以来である。

インフルエンザと確定すると感染を予防するため私だけ一人別の部屋に隔離され、そこで待たされることになった。その待ち時間で暇なので、インフルエンザに関する統計情報を見ていると、やはり20代の感染者の数は他の世代に比べて圧倒的に少ないことがわかった。これは若いから元気である、ということもあるだろうが、若いがゆえに少々の熱が出ても病院に行かないし病院に行くことがめんどくさいという2つの要因が重なった故であろう。実際インフルエンザにかかっている私も空き時間にネットで統計情報を見るぐらいの余裕はあるわけで、かかっても仕事なりなんなりを無理やりこなす人が多く、実際に病院に来るような人はまれなのかもしれない。

その後、薬を3種類処方された。ひとつはインフルエンザに対する薬、ふたつめは抗生物質、最後は漢方薬である。西洋的な薬と漢方を混ぜて処方されることは初めてであったため驚いたが、この病院ではいいとこ取りをするためにあえてこのような処方をするとのことであった。

インフルエンザの薬は最近開発された薬で、その場で吸引するだけで良いとのことであった。合計2本の薬を吸引し、それで終了で、こちらもなんだかあっけに取られた。昔はリレンザとかいう薬を毎日家で吸引していたような気がするが、薬も進歩している。

後は家に帰ってひたすら寝るだけであるが、やはり頭が痛いのは相変わらずで、その後1日ちょっとは頭痛がひどく、大変に苦しい時間であった。どこで移ったのだろうかと考えていた。自分の周りにはインフルエンザにかかったという人は見たことがないので、おそらく道端ですれ違ったひとか飲食店かなにかでもらってきたのであろうと思われるが、一番の原因は私の体力がなくなっていたことにある。そしてこれの原因はいうまでもない、修士論文が悪いのである。修士論文ゆるすまじ。 

学びについて 2

2017年2月25日、晴れ。

前日に高校の同期とたらふく飲んで、食べて、そして気づいたら私はベットで、彼はこたつで寝ていた。部屋の立派さは変わったけれど、やっていることは学部の2,3年の頃と何も変わっていないことを発見して、彼とは年をとってもこうやってゴロゴロとだらしなくしていても問題ない関係で有りたいなぁと思った。
夕方ごろまで珈琲を飲んだり、飯を食べに行ったり、本を読みながらサッカーを見たりする。模範的土曜日。やはり土曜日はこういうだらしない感じで無くてはならない。日曜日はどうしても次の日の月曜日のことが頭をよぎるし、金曜日はパーッと遊ぶためにあるので、こういうだらしなさは土曜日でないと出せないものがある。彼の寮の近くの喫茶店について話をきく。彼は土日なると、その喫茶店によく行くようで、店がまえは喫茶店、というよりサテンといった様相の昭和の匂いが色濃く残る店で、客層は近所のおばさんおじさん連中のみのなかなかディープな店らしい。
京都にいた頃も、近くにそういうサテンは何個か会ったけれど、結局ビビって一回も中に入れなかった私としては、彼がそういうところに入り浸っていることがとても不思議であるし、少しうらやましくも感じる。それは私の知らない世界を知っているということでもあるし、できないことを淡々とやってしまうその精神の構成も気になるからである。一度連れて行って貰いたい。

夜は、大学院の一つ上の先輩二人と飲み会。毎回この二人と飲み会をすると、延々と真面目な話をして盛り上がるので、頗る楽しい。

一つ目は[親の年収と子供の学力は相関にあるのか因果にあるのか]という問題。
私は因果であるといい、二人は相関であると言って議論となった。
私からすると、親の年収が違うということは、当然親が子供に対してする教育のレベルも上がるであろうと考える。
もっというと、子供の周りの環境が[勉強をしていても変に言わない人が多い]環境になる確率も、年収によって変化するであろうと思われ、そういったことから、子供の能力にプラスして親の年収レベルで、最終的な子供の学力が決定するのではないか、というモデルを提案した。
一方で、彼らはたとえ年収が高いからと言って、必ずしも子供が賢くなるわけではない。その例外も多数存在している(自分もその一例だと彼は述べた)上に、無限の富があったとしても、子供の学力が決定するわけではないだろうと反論した。
確かに彼の言うところの[必ず学力が上がるか]ということに関していえばNoだろうと思うし、私もそこまで強い関係性を提案しているわけではない。それよりも[学力が上がる確率が上がる]というようなことを言いたかったのであって、この点に関しては[因果]という言葉をどういう風に解釈しているかが、彼らと私で異なっていたことが原因ではなかろうか、と推察される。
一日経った上で考えてみれば、具体例として[タバコを吸うと肺がんになるリスクが2倍になる]と言うようなことを因果と捉えて、それと同様に[親の年収によって子供の学力が上がる確率が2倍になる]と言うようなモデル提案をすればよかったのかもしれない、と反省をしている。

二つ目は[思考力とは何か]という問題。
数学の教材のコラムに、[数学の思考力を鍛えられるような事柄について執筆してください]と頼まれて、ふと思考力とは何なのだろうか、と思ったことが発端で、色々と先輩なりに考えて見たけれど、我々にも意見を聞きたい、ということだった。
私の考えをはじめに述べると、思考力とは問題を[読み解く]能力であると思っている。
すなわち、問題を正確に読み取って、まず問題の仮定と示さなければならない出力を判定して、その上で仮定と出力が自分が見たことがある解法に照らし合わせて何が用いられるのか、そもそも自分にはこれは扱えないのか、などを判定する、これを読み解く、と表現した。
であるから、数学の思考力、と言うのは結局のところ国語ができるかどうか、であると思っていて、日本語を使わないで数学という言語上で、国語ができるのかを見ている、と解釈していた。
もう一人の先輩は、思考力、という言葉自体が分解可能な複合的な概念であると述べた。
問題を解くという行為は、問題という具体例から、理論という抽象への射影、理論から理論への射影、そして理論から具体への射影を駆使して行われるので、思考力と言うのはこの射影をいかに使えるか、ということを表しており、結局抽象化する能力、抽象の世界を把握する力、そして抽象から具体へと落とし込む力、この複合的な概念として、思考力が存在する、と述べた。
質問をした先輩は、思考力とはリンクを貼る力であると考えていると述べた。ある概念と別の事柄を関連付けて考えることができる力、これを思考力と言う、ということである。この考え方は結局問題を解釈することだ、と言っている私の考えも含むことができるし、先輩のいう射影という表現もリンク、という別の言葉で表現しているにすぎず極めて似た概念である。
したがって、結局のところこの[リンクを張る]ということが一番しっくり来るようであった。面白いのは3人いても、みんなが皆似たような結論に行き着いているということである。まあこれは、3人共が大学院の同じ研究室という極めて同質の人間が集まりやすい環境の中の3人であったからなのかもしれないが。

他にも抽象と具体とどちらが最初に物事を教えるときに良い方法か、とかまあ色々と聞いた。忘れてしまったけれど。
それよりも大事なことがあって、それは先輩の一人が結婚することが決まったのだ!子供が10月に生まれる予定らしい。とてもめでたい。めでたい。
私の個人的解釈で言うと、彼は結婚をするかもしれないと言っていた彼女がいて、彼女も結婚することがやぶさかでないのに、結婚をすると可能性が縮まってしまうことがネックになって結婚をしないでいるようであった。私としては、早く結婚すればいいのに!とずっと思っていたので、今回の知らせはとても個人的にも良いことであろうなと思っている。

学ぶということ

昨日は彼女の研究室の先生と、学生と飲み会。先生がとても飲む人だと聞いていて僕を潰すつもりでいるというのを聞いていてビビっていたけれど、気づいたら僕の方から楽しくなって、ぐいぐいと飲んでしまっていた。やはり楽しくなると、限度とかそういうものを気にしないで、無限に飲んでしまう。いつもは飲まない日本酒も、ビールも、焼酎も、延々と飲んでしまって、最後は女子トイレで寝ていた。

研究室でこんど修士になるという女の子の話を聞いていたら、彼女はちょっと苦労をして大学に来ているらしい。勉強をすることを良しとしない環境にいると、勉強をしているだけで馬鹿にされたり、仲間はずれにされたりするというのを聞いていると、自分がかくも恵まれた勉強をする環境にいるんだなということを改めて感じると同時に、彼女と同じような環境にあって、そして勉強をあきらめてしまう人がたくさんいるんだろうなと思うと、とても悲しくなる。
飲むとすぐそういう話をして泣くんだよね、とは聞いていたけれど、でもあれは泣いてしまってもしょうがないというか、僕はああいう純粋な勉強をしたいという気持ちを持っていて、それが叶えられたことが嬉しいんだという気持ちから、泣いてしまうことの美しさというか、純なる気持ちに圧倒されてしまった。

今日は昼まで寝て、パスタを食べ、公園で壁当てをしていたら、謎の爺さんがはなしかけてきた。そして僕からボールを奪って、壁に2回続けてボールを投げた。彼は今年80歳になるおじいさんで、毎日運動をしていて、とても元気良さそうな人だった。大阪は怖いところだ。